作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

カメラ カメラ カメラ

映画「カメラを止めるな」見に行ってきた。あれだけ騒がれていると気になって仕方がないw  売れるとはこのように騒ぎができて、自分みたいな野次馬が続々と増えることを言うんでしょうね。


さてさて、自分がこの映画に興味を持ったもう一つの理由。それはこの映画の総制作費が300万と謳ってあったことである。ハリウッド映画なら300億円もざら、日本映画でも数千万。300万円でどれほどのものができるんじゃいと、ちょっと上から目線で興味が湧いたからである。で、実際見てみてどうだったか。300万円でここまでのクオリティーの作品が作れるんだというショックを受け家まで帰った。敗北感と言うのか、すごいなぁと思いながら。


何でこんな気持ちになったのか。


自分も音楽を作っていて、その編集作業であるミックス・マスタリングまでやるのだが、まぁプロに比べればイマイチな音の仕上がりである。そのイマイチさをどこか環境のせいにしてたからである。
機材が良くない、時間がない、知識が足りない、いいプレーヤーがいない、作曲者が編集までしたくない…


映画を見終えた後、正直に
「ここまでのクオリティーなのか!!!」
っていう驚きしかなかった。何かのせいにしてる人はダメですね…


映画で制作費300万といったら自分の想像でしかないけど、出演者やスタッフ、セットなどの費用にほとんど消えていくだろう。じゃ制作費を削れる部分といったら?撮影や編集作業だろう。自分でこなせばその分が浮く。


今のご時世、この撮影と編集作業が昔に比べれば格段にお金がかからない。技術の進歩のお陰で。これは音楽の世界でも一緒で、録音・編集がスタジオじゃなくても自宅のパソコンの中だけで、全部行えてしまう。機材もソフト化され、その値段も今はピークなほど安い。下手すりゃタダ。


昔はやる気があっても制作にお金がかかるので、自分をアピールして人や金を集める能力も別途必要だった(今も多少なり必要なんだろうけど)。
それが今では、20万もあれば制作環境が整う。後はやる気次第。その作品を披露できる場も多い。


しかしこの編集の実作業、中々感覚派のアーティストにとっては大変でして。音楽制作で例をあげれば、各楽器の音の大きさの調整、音の加工(エフェクト)、ドラマチックな演出、ボーカルの補正(外れた音の修正、要は音痴対策wなど)の部分。このような実作業は職人的要素が強い。確固たる技術と知識がないとできない作業である。これはいくら道具が揃ったところでしっかりと時間をかけて勉強しないと使いこなせない。映画も一緒だろう。この監督さんの編集技術も普通の金のかかった日本の映画と遜色なかった。アイデアも技術も兼ね備えた人なんだろう。

 


この映画でよかったと感じた点は、娯楽映画の王道を守りつつ、チャレンジをしていたから。娯楽映画と言えば、善人の主人公がクセの強い登場人物に翻弄されながら、目的を奇跡的に達成するドタバタ劇である(主人公がクセの強いパターンもある)。そんな基本にプラスして撮影を止めず演技を長時間続ける長回しというチャレンジをしている。長い時間撮影をするためには、連続するシーンすべてを段取りしておかなければならず、この間演技も当然NG厳禁である(あっ、この映画に限っては、NG厳禁ではないみたいだけど)。とにかく手間がかかるので普通低予算ではやらない技法。
この監督さん、こういうはちゃめちゃな面もありつつ、基本ができてる人だなぁと率直に思った。

 


最近は便利なツールも増えてきてて、AIが編集するなんてものもある。しかしそういうものを駆使して制作しても、どうしてもクオリティーの高いものができない。それは基本を理解してないから。便利にかまけて基本を学ばず、わかったふりして作業してるから失敗する。基本を学ぶことがことは大切である。その基本を理解した上で、自分らしさを出す。


ここ数年映画から遠ざかってた。それは売れ線を狙って単純すぎたり、過去の名作と違ったことをしなければという思いからなのか複雑すぎたり。もっと単純な、見てて疲れない映画を欲してた。80年代ぐらいまでの映画のように。そこにこの映画である。やっぱり基本ができているものはいいなと。
そんなことを教えてくれる映画でもあった。


 

あの日に帰りたい

強いと人気がなくなるって、なんか変だなぁ。


判官贔屓って言葉がある。弱いものに同情することだ。


自分も御多分に洩れずその傾向がある。
自分は野球好きで、地元中日ドラゴンズのファンであるが、一方で昔は広島カープも気にかけてた。そう隠れカープファンであった。野球ゲームならマイチームはカープ久米宏カープファンなどなどいろんな要素があったというのもあるが、一番の理由は今と違ってなかなか勝てなかったからである。前田様や黒田様がバリバリ活躍してた頃の話である。弱いチームが強くなっていく過程はなんか応援したくなる。
じゃ今はどうか、憎っくきカープであるw
今年はドラゴンズは善戦してるとは言え、ここ数年特にマツダスタジアムで勝てなさすぎ。ここまで来ると心変わりもしてしまうのが人間ってもんだろう。憎すぎるまでの強さ。嫉妬なんだろうけど。


しかしカープファンの皆さんは、今の絶対的に強いチームをどう感じてるんだろうか?


我がドラゴンズも数年前までは、常勝軍団であった。落合政権では在任期間8年で4度のリーグ優勝、1度の日本一、Bクラス一度もなし。なのに人気は下がる一方だった。
刺激がないんだろう、勝った時の喜びが薄い。勝って当然なんだから、心に残らない。自分も当時それほど勝利にありがたみを感じてなかった。完全に奢り。まさか今の惨状になるとは…あの日に帰りたいw カープファンの皆様、気を付けて下さいね。
(そう言えば、落合監督が退任した年に出演してたテレビの優勝特番でこれからのカープは強くなるぞと発言していたが、今から思うとその先見の明に脱帽)


ドラゴンズの人気のなさにはずっと憂いてた。唯一例外が星野監督の乱闘と宇野選手のフライをおでこに当てちゃう珍プレーぐらいが全国区なもんで。とにかく地味なことが伝統なチーム。それが今年は一変した。松坂投手である。私、ちょっと舐めてました…入団した時も、正直全盛期の選手ではないため、入団することに対して別段嫌な気持ちはなかったとは言え、どこか冷めた感じで見てた。しかし入団直後のフィーバーで最初の度肝を抜かれた。スーパースターってこんなに客呼べるんだって。キャンプを見に来る客の増え方といい、グッズの売り上げといいシーズンに入る前に球団はもう元は取れたどころか、ウハウハだったろう。
そしてシーズンに入っての粘って頑張って投げてる姿にやられて、今となっちゃ普通に応援しちゃってる。
こうやって手のひらを返したようにファンになってしまった。なんか最近サッカーでもこんな感じのこと話題になってたなぁ。よく頑張ったと。まぁ自分も日本人なんでw


でも常に成績をあげてる人やチームだとこうはいかない。落合監督もそうだし、巨人とか柔道やレスリングなど勝つことが宿命の場合、負けたらボロクソに叩かれるので大変なプレッシャーでしょうね。負けても同情されない。だからこそ精神面でも強いんでしょうけど。

 

人はどうも様々な困難を乗り越え、頑張ってる姿を見ると応援してしまう。それがスポーツだとすら思ってる節もある。ただし少なくとも多少結果を出さなくては注目してもらえない。だが困難の最中に結果を出すのは簡単ではない。怪我など故障ならなおさらである。

ドラゴンズには、松坂投手以外にも浅尾投手がいる。この人気のない球団の中でも、最も全国区人気のイケメンである。爽やかな顔してエゲツない球を投げる。この人も大谷くん同様マンガみたいな人。ここ数年は豪速球も影を潜めほとんど一軍で投げれてない状況。モデルチェンジのために努力を重ねてる。是非とも一軍にあがって投げる有志を見せて欲しいもんです。彼も騒がれるに値する選手だから。もしそんなことになったら泣いちゃうでしょうね。

 

さてさて、常に勝ち続ける人間と、いい時悪い時の振り幅の大きい人間。どっちが生きる上でお得?、いや目指すべきか。

前者は常にあらゆることを注意深く想定しているので、事故のような困難以外はあまりない。常に体のために節制しているし、論理的でクール。逆に後者の方は完璧でない、別の言葉で言えばおっちょこちょいな人が多い気がする。だから困難に出会う確率があがる。でも愛嬌があるので人気がある。

この人すごいわと思われる人か、頑張れと応援してもらえる人か。

ここまで書いてみてやっぱりなんだけど、結局その人の性格でしかないので、自分に合う方を目指すべきw 苦手なことは憧れがあったとしても手を出してはいけない、辛い思いをするだけだから。

 

ちなみに僕はおっちょこちょいですw


 

Hole in My Heart

歳をとると、人間緩くなる。特に体のありとあらゆる穴が。


独り言。あれは「ねぇねぇ、聞いて!」みたいな自己アピールなのか。昔は頭の中での独り言だったものが、いつの頃からか、無意識に口から出てる。


余計な一言。別に言わなくてもいいのに漏れる。何がいけないって、その一言が図星なこと。そりゃその相手は常々気にしてることを言われりゃカチンとくる。だから余計な一言は言わないに限る。でも寸止めは難しい。


おなら。道端などうるさい場所なら、割とお構いなくする。流石に密室ではしないが、あんなに恥ずかしくてできなかったことが、溜めると体に悪いからねと放出する。


涙。昔は悲しい映画を見た、笑いすぎたなどだったものが、ただ楽しい会話してるだけで、目がびしょびしょ。

 

 


歳と共に穴は緩んでいく。逆に硬くなる部分がある。


体の柔軟性はなくなり、筋肉は硬くなり、肩こり腰痛を発症する。
そして心も柔軟性がなくなり硬くなる。そうなると好奇心もなくなっていく。


好奇心は10代の頃はみんながやってる流行りのものには何にでも興味を持てた。それが経験を重ねるに連れ、取捨選択ができるようになり、無駄に不要なものは手を出さなくなる。これが固定観念となっていく。どうせこうだろ、みたいな。しかしその固定観念は自分の経験から醸造されたものである以上、わかったつもりの状態。決してその本質をわかってるわけでないので、なんでこんなものが流行るんだってことになる。最悪は「最近の若い奴らのことはわからん」w


心は頑なになる。変化は怖いし順応するのが面倒くさい。だから現状を守ろうとする。


人は歳をとると温厚になるなんて言われてるが、自分はそうは思わない。歳をとると自分にとってどうでもいいことには温厚になるが、自分に直接関わってくる問題に対してはものすごく敏感だし怒る。そんな時は人の意見を聞く耳すら持てない。今喫茶店でこれを書いてるが、ちょうどおじいさん2人が口論してる。1人が諭してるのに、相手はそんなキズつけるようなことを言うなと怒ってる。うるせーなーと自分はイライラしてるw

 

 


昨日大好きな温泉に浸かりながら、目の前を通り過ぎていくおじいさんのお尻の肉の垂れ具合を見ながら、今回の話のネタを思いついた次第。


歳をとって緩んでくる部分はしょうがない。受け入れるしかない。しかし硬くなっていく部分は、意識的にストレッチして柔軟にしてあげないと、同じことの繰り返ししかできない日々を送り続けることになるんだろう。でもそれを無意識的に望んでる部分もある。しかし同じことの繰り返しが、何かの変化でできなくなった時、多分途方に暮れてしまうんだろう。硬くなったものへのストレッチはキツイ。でもやっておかないと、不測の事態に対処が難しくなる。


安定が本当にいいのかわからない。確かに楽なことはいいんだけど、それがずっと続くと人間飽きてくる。天国の生活も自分の思い通りになり過ぎてつまらなくなり、人はまた下界に戻っていくという話も聞いたことがある。


いつも同じことを続ける生活には、変化を恐れるあまり心が頑なになるリスクがある。そんな心に気づいたのなら、ストレッチが必要。今まで興味があっても面倒に感じたり億劫になってたことにチャレンジしてみる。新しい刺激は辛いけど楽しい。いや痛気持ちいい。

伝説のチャンピオン

今回はにわかの戯言。

 

先週のサッカーワールドカップ日本対ポーランド戦の日本の戦い方の賛否が世間やネットを賑わせてる。途中ウトウトしていて気付いたら日本が1点取られて負けていてびっくりした自分(ホントにわかなのでスイマセン)。でもテレビの解説が同時間帯のコロンビア対セネガル戦でこのままセネガルが負ければ、警告の少ない日本が勝つと言うのを聞いて、チャンネルを変えてそちらの方を観戦した。日本は卑怯と言われるかもしれないが、ルールがそうなんだからそれを利用しない手はないし、そこでスポーツマンシップと言うのか正当な戦い方をしても裏目にでることが割と多いので、あの時間帯となっては今回の日本の戦略は決勝トーナメントに行くと言う点では正しいと思って見てた。セネガルセネガルで点を取ればいいわけだし、卑怯と言われる筋合いはない(しかしポーランドも空気読んで攻めなかったんですかねw)


しかし戦い方があまりよろしくないと、批判は続出してますね。つまり目標を達成するのはもちろん、その戦いに内容も求める。しかし感動的な勝利を求める気持ちは分かるが、二兎を追うものは一兎をも得ずということわざがある通り、チャンスがあるのであればそこを逃さないことは割と大切だと実感してる。


なぜ実感してるかと言うと、同じことかどうかわからないけどプロ野球の日本シリーズの我が中日ドラゴンズ日本ハムファイターズの最終戦(第五戦)で考えさせられたから。この試合もかなり批判があったのでご存知の人も多いと思う。当時中日は落合監督。ここまで中日の3勝1敗で53年ぶりの日本一まであと一勝と迫った試合。しかも相手投手はあのダルビッシュ。なのにこの試合でダークホースの山井投手が8回裏までまさかの完全試合のピッチング(ホントこのピッチャー中日ファンからしても、たまにとんでもないピッチングをする不思議な存在。ゾーンに入ると誰も手をつけられない)。そしてスコアは1対0の僅差。さぁあなたが監督ならどうする?試合の内容(完全試合)に拘るのか、目標(日本一)に拘るのか、はたまた両方求めるか。落合監督は目標達成に一番高い確率の抑えピッチャーへの交代をして、日本一を成し遂げた。


この試合はホント様々な状況が揃った試合で、浅はかな自分が思いつくだけでも


・中日の3勝1敗とは言え、仮に負けると残り2試合は場所が変わって敵地の北海道での試合になること


得点差が僅差の1点であること

 

・この時点で山井投手の指のマメが破れてる


・山井投手であること(決して完璧なタイプのピッチャーではない、そこが魅力でもある)


53年日本一になってないこと

 

・何よりこんな試合落とすと余裕がなくなる


こんな状況のもとでの試合である。落合監督も冷静に判断して采配をしたんでしょう。当時試合をテレビで見てた時はピッチャー交代のアナウンスに正直「えーっ」とは思った。でも時が経つにつれ、流石の采配だったなと感心するようになった。だって中日は伝統的にあまりにも勝っておかなければいけない試合を落とすチームだから。チャンスは逃すなと。結局落合監督といえ、それ以降リーグ優勝は何度かあれど日本一にはなってない。それほど短期決戦は難しいし、運にもかなり左右される。


中日の歴代監督の中でも突出してしてるのは、星野監督落合監督だろう。そして両者の人間性はあまりに真逆。その特徴は自分が思うに、星野監督は見てる人に感動を与える野球、落合監督はとにかく勝つ野球でしょう。星野監督が常々夢という言葉を使ってたのに対して、落合監督は勝つことがファンサービスであるとこちらも常々言っていたことからもわかる。人気は圧倒的に星野監督の方がある。夢を見させてくれる男は基本モテますw 楽天時代の日本一を取った試合なんてあまりに感動的で星野監督を象徴してる試合。しかし星野監督は常勝チームを作れなかった。特に優勝をした次の年は、燃え尽きちゃうのか成績が良くない。に対して落合監督は安定して勝利する常勝チームであった。リーグ優勝に必要な勝利数に対して、逆算してるかのようなシーズンの戦い。強い相手に絶対勝つではない。捨てる試合は捨てる。勝てる試合は取りこぼさない。その象徴の試合は先に話した日本シリーズ終戦

星野さんはこの日本シリーズのことについて、あるテレビ番組で完全試合にチャレンジさせるべきだった旨の発言をしていた。またオリンピックの監督のとき、ミスした選手に再度チャンスを与えたにも関わらず、再びその選手が足を引っ張り試合に負けて、その采配は批判を受けた。またまた楽天の監督の際、日本シリーズで前日の負け投手のマー君に再度チャンスを与えて、感動的な優勝を果たした。
そう星野さんって情に熱い采配なんだけど、客観的に見ると割と博打打ちという見方もできるんですよねw それに比べ落合さんは勝てる確率の高い方を選ぶ。どちらが面白いかと言えば、見てる側としては星野さんの方だろうね。勝った時の感激はひとしお。でもその確率は高くはない。だが勝てばドラマチック。

どっちがいいかは難しいけど、常勝軍団の方がいいなぁ。今のドラゴンズの惨状見てると辛い…


さて今回のサッカーの日本代表の戦い。スポーツマンシップや感動を求める人からすると、がっかりな試合となるんでしょう。しかしリーグ戦と違い短期戦は余計なことをすると命取りになることがあるので、今回の西野監督の批判を覚悟の采配は立派だと思った派です。特にやり過ぎてるというわけでもないし(今回の批判で高校野球時代の松井秀喜選手の五打席連続四球の例えが出てるが、今回はあそこまで酷くないでしょ!なんでもやり過ぎは良くないです)。次の日本戦が見れることに感謝です。日本のサッカーにとっても決勝トーナメントの舞台は絶対いい経験になる(仮に最後まで勇敢に戦ったことにより点取られてたらどれだけ批判されるんでしょうね、たらればですが)。

 

しかしもう少し早く試合やってくれないかなぁ。夜11時過ぎると眠くてしょうがない(次の試合朝3時からなんですね…ガンバレ日本!)
 

Maniac

たまに一見特徴のなさそうな感じの人と話をしていると、ある瞬間からこの人スゲーに変わる人がいる。それはマニアの方。そしてそのマニアの人の語りたい魂に火を点けると、話は自分の知識が耐えれるか自信がないくらいディープな世界に入って行くことになる。


最近立て続けにマニアの人と話す機会があって、いずれも少しだけ話して要件を終えるつもりだったが、平気で3時間越えの超ロングな会話となってしまったw  しかし決してマニアの人のせいで話が長くなってしまったわけではない。自分が悪い。それは火にガソリンを撒くかのようにマニアの人がよくぞ聞いてくれましたという質問を自分がするからw  でも聞きたかったことを全部教えてくれるので楽しかった。


自分は決してマニアではない。性格的にもマニアにはなれない。大雑把だし、蒐集癖はないし、片付けできないし、マニュアル読まないし、感覚的だし…マニアの人は多分この逆の人間である。そんな僕でも未知の世界への憧れはある。新しい刺激に触れたい。そんな世界を雄弁に語ってくれるマニアの人は話をしていて純粋に楽しい。今まで疑問に思ってたことを質問する。すると明確な回答が返ってくる。すっかり腑に落ちる。バラバラだった知識がつながることにより、さらに疑問が湧く。この人なら答えてくれると更に質問する。その質問を待ってましたかと言うように解説が入る。以降このループである。


今回話したマニアの人はエンジニアでは
音響
音楽のミックスマスタリング
楽器修理


趣味では
オーディオ


いずれの人達も僕の無知な質問に対して快くなんでも答えてくれた。特にエンジニアの人達はそれを生業としてるだけあって、知識と言うよりは実務的な観点で話してくれる。時に知識は実務ではそのまま使えないことがある。知識は実際の作業では使える条件が伴わないときがあり、その場合は別の方法を選択しなければならないことが多々あるからだ。それを知らずに知識を盲信してそのまま使うと結果として酷いことが起こる場合がある。そういう経験的な部分をなぜダメなのかを踏まえて教えてくれるので、非常に為になる。

 


ただ世の中僕みたいにダボハゼな、なんでも聞きたがりの人間ばかりでない。自分のことを話したい人の方が多数派だろう。そして厄介なのは似たジャンルであっても立場が違えば意見が食い違うことだろう。今回こんなことがあった。


オーディオマニアの人と話をした時のこと。実際に音を聞かせてもらいながら、話はどうしても機材へと行き着く。


音楽の作り手が聞かせたい本当の音を聞く為にはレコードプレーヤー、アンプ、スピーカーそれぞれいいもの買って聞かないと。こんないい音で聞いたことないでしょ。また機材の組み合わせによって音も変わってくるし。」


実際に聞かしてもらい感動した。音の綺麗さ、広がり、音圧、今まで気づかない音までも聞こえたような気がした。僕のショボいカーステとは大違いだ。僕も欲しいなぁと本当に思った…


その1週間後、音楽のミックスマスタリングの仕事をしているエンジニアの人と話をした。自分も自作の曲をミックスとマスタリングを行うが、いつも同じ問題で悩まされていた。それは曲をカーステで聞いて絶望する問題であるw  自分の部屋のミックス専用の特殊なスピーカーで完璧に仕上げた自分の曲が、場所を移して車のスピーカーででかけてみると、あまりの音のショボさに今までミックスにかけてきた苦労と時間が全て台無しになったと絶望するのである。これは割とミックスやってる人ならあるあるな話らしい。そこでエンジニアにこのことを聞いてみる。


「ミックスは一般人が聞くであろうショボい環境でまともに聞こえるように調整するのが大事なんですよ。だからプロはスタジオにショボい音がするスピーカーをわざわざ置いてそいつでも調整している。部屋のミックス用スピーカーのみでいい音に調整しちゃうと、その部屋のスピーカー専用の音楽になってしまうんですよ。だから一般に売ってるレコードやCDの音はショボいスピーカーに最適な音なんです。」


なるほど。すごく腑に落ちた。と共に新たな疑問が湧く。


「あのー、先週オーディオマニアの人と話したんですよ。オーディオ機材にお金をかけることによって曲が持ってる本来のいい音がすると。でもさっきの話だとショボいスピーカーで最適になるように音楽が調整されてるんですよね?機材をいいのにすると音は良くなるんですか?」


「わかりやすく言うとですね、オーディオ機材はラーメンで使う胡椒みたいなもんなんです。」


「こ、こしょう?」


「食べる前にパラパラかけるみたいな。なくてもいいし、かければより美味しくなる。これをオーディオマニアの人に言うといつもケンカになっちゃうんですけどね。」


胡椒ねぇ…


そりゃケンカになるわな。何十万もかけてるものが、胡椒と言われりゃ…

 

この話はヴィンテージの楽器でも言える。一般人ではわからない何か違う部分を楽しむ話のように思う。多分音の周波数を専門的に調べるとミキシングエンジニアの人が言う通り、特に音が良くはなってはいないんでしょう。逆に本来の音から劣化してる説もある(実務してる人は現実的なタイプの方が多い気がしますなぁ)。
でも僕は信じたい。確かに何か違った、人の耳に心地いいオカルティックなその何かを。僕自身その胡椒の部分にロマンを感じるタイプなので。人生にロマンを振りかけ続けるぞ!

NINJIN娘

人はニンジンを目の前にぶら下げられると、どんなに疲れていようが気力がなかろうが、頑張ってそのニンジンを得ようと力が湧いてくる。得られればいいんだけど…


先日長野県の蓼科にある蓼科山へ登山をしに行った。蓼科は別荘地にもなってるような風光明媚な場所。そんなところにある蓼科山はまぁるく柔らかい女性的な山。とは言え2500メーターある山なので、それなりに登るのはキツイ。登山ルートはいくつもあるが、その中で七合目登山口を選択した。僕とツレとの登山の目標はあくまで頂上を目指すものであり、その行程の中身は問わない。だから利用できるものは利用する。行けるとこまでは車で行き、ロープウェイがあれば使うし、近道があればそちらに進む。どんな手を使ってでも簡単に頂上に辿り着くことが僕らのミッションw なので今回は一番距離の短い七合目登山口となった。


七合目からの登山なので、今回目指すラスボスの中腹からのスタートとなるので、平坦な道のない登りっぱなしの登山となる。最初は流石に緩やかな登り道だが、すぐに傾斜がきつくなる。冬の間にトレーニングをサボった体は、筋力もなく、オーバーウェートでいつにも増して呼吸も荒くなる。これは自業自得なので文句は言えない。体重やゴミなど要らないものは増やすのは簡単、減らすのは難しい。逆にお金など必要なものは減らすのは簡単、増やすのは難しいのは興味深いなんて思いつつ進む。


山小屋に辿り着く。この山小屋からが頂上へのラストスパート。大きな石がゴロゴロしてる急な登りを30分かけてゴールとなる。ここの山小屋は店員が気軽に声をかけてくれたりと雰囲気がいい。こういう雰囲気のいい山小屋というのは、色々な山に行っているが中々少ない。頂上などロケーションのいい立地にある山小屋と比べて、あまり立地の良くない小屋の方が、営業努力されてる分サービスもいい。ここの山小屋はまさにそんな感じ。来る人来る人に優しく声をかけてるので、声をかけられた人はそこで売ってるバッヂやバンダナをどんどん買っていく。山小屋でこんなに物が売れてる光景見たことがない。できる人である。


さて頂上へのラストスパート。今までの行程よりも更に傾斜がきつく、ゴロゴロしてる大きな石の上を登ってくので一歩一歩がきつい。呼吸も高度が高くなってる分更に荒くなり、心臓もバクバク。上を見上げてもまだ頂上は先だ。気分が折れそうになったその時、先にいる人のある姿が目に入る。


「えっ!タンクトップ???」


山でタンクトップ。しかも女性のようだ。こんな人、僕の山人生でも見たことがない。ツレにも教える。2人ともテンションが上がる。


「スゲーっ。早く追いつこう」


どこに残ってたんだろう、この力w  今までの1.5倍のスピードで、山の傾斜を駆け上がっていく。そう目の前にニンジンがセットされたのだ。このモードになると、集中力が増し、体の疲労感なんて感じなくなる。まるで獲物を追いかけるように。なんて動物的w
少しずつ差を詰めるが、追われる獲物も割と登るのが速く、一進一退の攻防を続ける。また少しと近づいたとき、「あれっ?」と思う。


「男じゃねぇ?」


まさか登山でタンクトップ着た女の人なんているわけないと我に帰る。そう思った瞬間、僕のふくらはぎが悲鳴をあげる。さっきまで獲物に集中してたのが、その目標を失い今までの無理が一気に足に来たのだ。


「うっ、ヤバイ」


ツレにも聞いてみると、そうだよなぁと。足の回復を図るために、暫し休憩を取り登りを再開する。しかしこの足取りはどこか重い。スピード感で表すと普段の0.7倍ぐらいだ。遅い。


トボトボ歩いてると、ツレが声を発する。


「やっぱり女じゃねぇ?」


僕も再度確かめる。そうだ、あの丸みを帯びたなで肩は間違いなく女性だ。


「行くぞ!」


心の中で声を上げた。
また1.5倍のスピードに戻り、獲物に向かって突進する。あと少しあと少しと心の中で念じながら、最後の力を振り絞る。そして獲物に到達する。


「獲ったどー!


しかし追いついたところで、現実に戻る。だってまじまじと見るわけにいかないし、その獲物には男性のツレもいるので声をかけるわけにもいかない。今までのあのテンションは何のためにとも自問した。本能としか言いようがない。この徒労感は重い…


こうやってなんとか頂上に辿り着いた。体を酷使したので疲れは半端ない。今にもふくらはぎが爆発しそうだ。ペースを崩すことは登山では危険である。こんなことで負傷して動けなくなったらどうするw 少しだけ反省をしたそんな1日だった。
 

Take it to the limit

「冒険野郎 マクガイバー」というアメリカの連続ドラマをご存知だろうか。

『世界中の悪と戦う「フェニックス財団」のトップエージェントであるマクガイバー。彼の最大の特技は陥った危機を手近な材料と豊富な科学知識の応用で切り抜け、数々の事件を解決する。』(ウィキペディアより)

結構昔のドラマなんだけどこれ大好きで、今回はピンチをどのように切り抜けるのかなと、固唾を呑みながら見てたことを思い出す。冒険野郎という響きもいいw

さてこのドラマの最大の見せ場はピンチの際に主人公の持ってる知識や経験を最大限に使って切り抜ける場面である。武器は使わず、今自分が持ってる道具で身近にあるものを利用して脱する。その際のうんちくっぽい説明がいい。「こんなときは○○が役に立つ」みたいな。理科の実験を見てるような感じで教養にもなる。
で今回自分が強調したいのは、このドラマの主人公マクガイバーとは限られた状況の中で卑怯な手は使わず、知識と経験だけを活かして最大の効果や結果を出せる男なのである。

 


最近ラジオ番組でトモ藤田というアメリカで活動しているギタリストがゲスト出演してた。音楽の名門校でも講師をしてるぐらいすごい腕前の人。そんな人がlimitationという言葉を使っていたのが印象に残った。その人の限界がその人の個性になるということ。大体普通の人は限界が見えたとき、欲張って何か今までやったことのないこと、例えば流行りのものを導入したり、小難しいことを足したりする。こうやって余計なものを足すことによりその人が作るものが他の人と変わらない均一化されたものになっていくと。そうじゃなく自分が持ってる能力や技術を100%使い切ってから更にもう一つ向こうへの世界の壁を越えれるかどうか。そんな人が孤高の天才なんだろう。そのためには自分というものについて考え抜かなくてはならない。

この番組の話からふと思い出したのが冒頭のマクガイバーの件。限界の中、自分の持ってる能力だけで解決する男。ランボーやジョンマクレーンとは違う。彼らは敵の武器を奪うは、派手にやりすぎるはw

 


最近便利になりすぎて、すぐなにかに頼ってしまう。わからないことがあればググるし、お金を使えばいくらでも逃げ道がある。音楽で言えば楽器が弾けなくても、サンプリングを使用して簡単に曲を作ることができるし。これはこれで素晴らしいことであるが、なんかあまりにも簡単に答えが得られてしまい、考えて答えを導き出すというプロセスをしなくなっている。それは自分以外の人もそうなんだろう。ここ数年目にしたり耳にするものは均一化されているように感じるし、なにを買っても一緒だったり、過去の偉人達のアイデアの寄せ集めのようだったり。

バンドやってると、こいつが自分の理想のプレーしてくれたらなぁとか、今流行りのプレーしてくれたらなぁとか、あるあるな話だと思う。でもこれこそが作品の均一化を招くんだろうね。自分が耳にしていることをそいつに望むということは、その耳にしたものに近くなることを意味する。そうじゃなく今あるものだけで考え尽くす。それがこのバンドでしかできない味になるんでしょう。バンドの面白みはケンカにあるとw

自分というもの、また自分と関わってる人や物。それらを味わい尽くす。そしてその中で考え抜いてうまく調理する。情報が簡単に入ったり、なんでも安く買える今の時代だからこそ、大切なことかなと。