作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

パラダイス銀河

  「まぁ〜ここのコーヒーうんみゃーわ、極楽だわ」

  ある日の喫茶店でのおばあちゃんの一言。ちなみに東海地方以外の方に説明しときますが、うんみゃーは美味いの意味です、念のため笑 この極楽という言葉を聞いて、なんかいいなと思ってしまった。なかなか今の自分の心の持ちでは、コーヒー一杯飲んだところで極楽という言葉が出ることはない。いや極楽と思ったことが最近あるだろうか。なのにこのおばあちゃんは心の底から極楽と言ってた、できれば生の言葉を聞かせてあげたいくらい。特段スペシャルなコーヒーでなく、普通の喫茶店のコーヒーである。この言葉は店の人が聞いても気持ちが良くなるだろう。

  あっこれと同じことを文化的にしてるところありますよね、そう大阪。県民の特性を扱ってる番組で、ある実験をやってたのを見た。それは大阪の人は外食での支払い時に「美味しかったよ〜、また来るわ!」っていうのが一種の挨拶になってるが、仮に料理が不味かった場合でも言うのかという実験。結果として不味くても「美味しかったよ〜」って挨拶してた笑 さすが大阪人、人に不快な思いをさせないなぁと微笑ましく見てた。人の欠点を笑いにしてしまう文化な面があるけど、逆に欠点に愛情を持って接する文化でもあるなと改めて感じた。

  大阪の話はちょっと特殊だとしても、ほんの小さな幸せを感じて、口に出してしまうというのは素敵。ただそれができてる人は少ないようにも思う。どちらかというと文句というか批評を言ってる人の方が多い。特に男。ここは美味いやら不味いやら。自分もそうですが…

  「わぁ〜、か〜わ〜い〜い〜!」ってやつ。女性に特有の。これが今回のおばあちゃんでいう極楽って言葉だろう。男の口からはなかなか出ない言葉。女性は共感の生き物だというけど、正にその通り。この言葉は自分だけでなく人を幸せにする。インスタが女子に受けてるのは最初全然理由がわからなかったけど、よく考えてみると当然なんだろうな。

  文化を本当の意味で支えているのは昔から女性。女性達が文化を育ててる。ビートルズもそうだし、ジャニーズもそう。歌舞伎など伝統芸能と呼ばれるものも、今でいうアイドルだろうし。芸術、音楽、ファッション、料理など女性の共感がなければここまで発展してないだろう。自分のバンドでライブをしてても、リズムに乗って素直に音を聴いてくれてるのはいつも女性だけ。男はなんか音を分析してるかのような、直立不動な聴き方である笑  やってる側からしても音楽に乗ってくれてる方が嬉しいし自信になる。

  どんな日常的なことも味わい尽くす、良いことに気付ける、またほんの些細なことに喜べる。それは心に余裕がないとできないし包容力もあるんだろう。忙しくなるとこういうことを味わえる心がなくなってしまう。せっかくこの世に生まれてきたら、目先のことに囚われてセカセカしてる人生より、日常の些細な出来事をゆっくりと味わえる人生でいたいな。

スターティングオーバー

  バンドの再結成やメンバーの復帰、これほどファンにとって喜ばしいことはない。個人的にはレッチリのジョンの復帰(後に再度脱退するんだけど、その時は友好的な別れだった)と、ストーンローゼスの再結成はホント感激して涙が出た。ビートルズだってもしジョンが生きていたら再結成してたかも知れない。ジョンの生前のインタビューからも、再結成に前向きな発言もあるし、後に他のメンバーでアンソロジーを作ったことからも、可能性は高かったんじゃないか。

  それに比べて、頑なまでに再結成を拒むバンドがある。特に日本では多い気がする。外人のバンドはどこかビジネスライクというか、メンバーが死んでなければ案外再結成するんだけどなぜか日本ではしない、一世を風靡した昔の伝説的なバンドほど。昔から辿ってもキャロル、ボーイ、チェッカーズなど。共通点があるとすればボーカルが突き抜けてカリスマ性が強い。

  カリスマ性とは何かと考えたとき、強烈な頑固さだと思う。人が憧れたり平伏せてしまうくらいの。で頑固って何か?心理学的には心の痛みから自分を守るために作られた鎧らしい。つまり頑固な人ほど傷ついてきているということ。人の心は見た目とは逆だから。感受性も強いだろうから聞いてる人の心に届くいい曲も書けるんだろう。

  バンドが友好的でなく解散するからには、余程許せないことがあったに違いない。金が絡むなら特に。外人と違って日本人は金に対して穢れみたいなのもあるし。こういうことがあると頑固な人ほど傷つくだろうし、強い態度に出て収拾が収まらなくなる。

  僕も頑固で笑 ホント人のやってることが許せなかった。バンドでもメンバーの勝手なプレーや音楽の方向性の違いなど、何で?って感じだった。だから選り好みをしてまともにバンドも組めない時期もあった。当然人にされた嫌なことも許せないし、人を見切ってしまう。気に入らないと顔にすぐ出る。

  ある時許せないということが自分にとって良くないという気付きがあった出来事があった。それは学生時代の話で、ベタだけどいいなと思ってた女の子と友達が付き合ってることを知ったときだ。今なら早い者勝ちだからしょうがないなぁと思える話だけど、当時はホント許せなかった。自分が何も努力してないことを棚に上げて。正に若気の至り笑 そんな悶々としてる時に、コンビニの本棚でマーフィーの法則という本を見つけた。簡素な内容だったので立ち読みしてたら、許しに関しての言葉があった。どんなことだろうと許せと、心の底から許せと。それが結局は自分のためになると。その時はホント衝撃的な言葉だった。許さなきゃいけないの?って。

  今のところこの全て許せという言葉は正解だと思ってる。許すってことは、結局自分のためになる。許せない気持ちはずっと心の重しになるし、他の人を見る目にも影響が出る。頑固は孤立する。カリスマ性がある人は同時に強烈な孤独感も醸し出してる。許せないという気持ちに固執しても、客観的にはいいことが余りあるように思えない。

  じゃ今は全て許せてるかって?うーん難しいなぁ、許すって。でも昔に比べれば、許すことを多少覚えたので、人間関係はマシになったかな。なんか許すと先に希望があるというか。それがまた新たな生きる上での刺激になる。それでも許せない出来事にはレベルがあるので、全て許せるかと問われれば、正直わからないが、一応の解決が出たのであれば、許す方向で考えたいと思ってる。

  ファンが再結成を望むバンドは先にあげた大御所以外にもたくさんある。そういうバンドが再結成されると、それに関わる人みんなが幸せになれるように思うんだけどね、難しいかなぁ僕の好きなバンド様、お願いします。

小さいあき見つけた

  飽きるもの。ファーストコンタクトでインパクトがあるものほど飽きやすい?美人は3日で飽きるなんて言う。そんなことはない笑 確かに美人で面白い人は少ないけど、お金さえかからなければ良いもんです。まぁ基本かかりますが。言うことも聞いてくれないし。だから楽しい、きっと…美味しいものも大好き。素材の良いものは飽きない。

  でも飽きるという感覚はどうしても出てくる。どんな場合でか。それは濃い〜ものに接したとき。濃い〜ものはどうも繰り返し味わうと飽きる。お笑いの一発屋と呼ばれてる人たちなんて、まさにそんな感じがする。まぁ一発芸という濃さからこそインパクトがあって売れる訳だけど、その代償もデカイ。次を生み出すのは至難の技である。第一線をキープするためには人を惹きつける何かをずっと続けていく必要があるし、変化もいる。

  じゃあ飽きられないようにするにはどうするか。なるほどねと思わせるようなものを提供する必要があるように思う。人はなるほどと思うものには一目置く。このなるほどねと思わせる部分が玄人的もしくは職人的な部分。歳を重ねるほど職人さんに惹かれるのはそういうことなんだろう。自分にないものには憧れる。知ったかぶりでいたい。でもそういう人は職人さんには嫌われるんだけどね…

  とは言え、最初はインパクトがないと気にもしてもらえない。入り口は大事。その後なるほどねと思わせる何かを習得してアピールしていかないとなかなかその世界では食っていけない。それは技なのか個性なのか。いずれにせよ誰も近づけないくらいの高みまで持っていかないといけない。

  今回なぜこんな話を書いたのかというと、先週ラーメン屋でラーメン食ってて感激から落胆までを一気に味わってしまったから。すごく美味しいラーメンだったから最初は夢中になって食べてたのに、途中からくどくなっちゃって、スープ大好き人間の自分でさえスープを飲み干すことができなかった。そこで何故だろうと。味覚は人それぞれとは言え、やっぱり最後まで美味しくいただける方がバランスとしてはいいのかなと。それはどんなことにも当てはまる。和牛もA5の霜降りの肉よりも赤みの多い肉の方が好きという人が多いと聞く。音楽で言うならば、ウケ狙いの派手な曲ばかりでは飽きられる。しっとりした曲や難解な曲も必要である。

  人の心は移ろう。クドいのは嫌われる、特に女性には。最初は面白いなんて言われてても、絶対飽きられる。そして一度嫌われると修復は難しい。怖い怖い…そんな事を考えながら過ごした先週のラーメン屋でのランチの一コマからでした。

スカーティッシュ

  僕のティッシュの消費量はハンパない。常人の3倍は固いだろう。すぐにゴミ箱がティッシュで一杯になる。じゃ何にそんなに使ってるのか?それはあまり言いたくない、男の事情もあるし笑 それだけではなく、何かアクションごとにティッシュに手が伸びてる。まぁここで言える分だけ書くと、

食事の途中に都度口を拭く。手になぜか食べ物のツユや油が付くので拭く。よく食べ散らかすのでテーブル拭く。家の醤油差しが壊れてて容器から染み出してるのが手に付くから拭く。コップの水滴がよく床に落ちるので拭く。コップの水を持って歩くとほぼ床に水をこぼすので拭く。鼻をかむ。目くそ鼻くそを取る。痰を出す。脂性なので顔を拭く…

  少し振り返ってみただけでも自分でもびっくりするくらい事あるごとにティッシュに手が伸びてる。無意識なだけに恐ろしい。しかしこう改めて見てみるとティッシュなしでは自分の生活が成り立たない。一度ティッシュが切れた状態で過ごした事があるが、とにかく拭けないとストレスが溜まる。これはある種現代病なのか?依存症なのか?

  他人を観察してても、そんなにティッシュを消費してる様子は見当たらない。職場でもティッシュの箱が机にない人の方が多数派である。みんなティッシュなしでどうやって対処してるのだろうか?まさか手や服で拭いてる訳でもないだろうし?ちなみに自分はハンカチを持たない。全てティッシュで対処する。

  またティッシュを大量消費するもう一つの原因として、一枚のティッシュを全て使い尽くしていない点もある。平均しても一枚のティッシュの内4分の1のスペースも使わずに捨ててしまう。感のいい人ならお気づきだろうが大の時のティッシュの使い方も同様である。トイレにティッシュを詰まらせて、逆流し溢れ出てきたこともある汗  とにかく必要以上にティッシュを消費してしまう。

  このティッシュ大量消費問題の要因はなんなんだろう。今回改めて考えてみると心の中の問題のような気がしてきた。少なからず潔癖な部分があるからだろうか。ただテレビでよく見る潔癖芸能人みたいなことは全然ない。別に机にこぼした食べ物も食べるし、山では湧水も飲む。整理整頓もできないし、掃除もそれほどしない。でもなんか自分が汚いと感じるものに対して、ティッシュのあの薄い一枚だけでも手(自分)とそのものを隔てているという感覚、エヴァでいうところのATフィールドのようなバリアの役割を感じてるのかも、いやどうもそう思ってるみたい。更にそれでもって拭くことにより汚いものを自分から排除すると。

  癖とは、その人の中の隠れてる部分が表出しているものなのかも知れない。そしてその隠れている部分を補完する行為なのかも知れない。自分の場合、ティッシュ大量消費は目の前から、都合の悪いものを排除したい心の表れなのかな?占い師みたいな人なら簡単に自分の人間性はバレそうです、変なとこ素直なので笑

 

フール オン ザ ヒル

  なんじゃこりゃ

  松田優作の有名なセリフだけど、思わず口から出てしまった。先週末雨がシトシト降る中、趣味の山登りをしていたら、途中左手が血だらけになってるのが目に入ったからだ。しかしこんなに出血するほどの何かがあったとは思えず、痛みもない。なかなか血も止まらなかったが大したことないだろうと、また登り始めると今度はズボンの膝あたりに血が滲んでるのに気付く。何だろうと、ズボンを捲り上げると、

  なんじゃこりゃ(二回目)

  ブクブクに肥ったヒルが二匹、靴下の上から血を吸ってる。しかもこの靴下、登山用なので相当分厚いにもかかわらず、めり込むように吸ってる。さらに血が滲んでた膝の方まで捲るとやはり1匹いた。そういえば、登る前に小さなアリぐらいのヒルシャクトリムシのように全身を使ってTシャツの上を登ってるのを見つけたので、思いっきり指で弾いていた。そして僕の足で血を吸ってたヒルはナメクジの大きさ。アリがナメクジになるというのは、人がウルトラマンになるレベルじゃないか。

  結局手と足に4箇所ヒルの被害にあった。血が止まらず、衣服も血だらけである。登山が終わった後、血だらけのままドラッグストアに駆け込んで、処置するためのティッシュと絆創膏を買った。どう見えてたのかな?自分… 結局半日血が止まらなかった。

  僕はヒルについて何も知らなかった。今回血を吸われたヒルは山ヒルと言われる部類。湿度の高い環境で活発になり今回の登山みたいに雨上がりは特に襲われることが多いとのこと。またヒルは噛む瞬間に麻酔のような液体を注入するらしく、噛まれたことに気付かない。更に酷いのは、血を固まらせない液体まで注入するので出血が止まらない。そしてヒルは強引に引き剥がすと跡が残る。

  ヒルを人間界に例えると何になるのだろう。全く気付かぬままに財布をスられ、更にその財布に入ってたクレジットカードを使われてしまったような感覚。そして心に傷が残る。なんて嫌な奴だ笑

  登山始めて5年以上経つが、初めての経験だった。ヒルなんて若干想像上の生物のように思ってた。人によってはヒルに襲われてしまったが為に登山辞めてしまった人もいるんじゃないだろうか。ある意味クマよりも厄介かも。

  しかし世の中知らないことがまだまだたくさんあるんだなぁ。割と色々なことに手を出したり、情報集めたりしているんだけど。また最近よく思うのは自分で正しいと思ってたことが、実はそうでもないなぁと気付くことがある。この事はまた別の機会に書きたいなぁと考えています。

マネー

  どうもお金にはルールがあるみたい。

  先日、たまたまテレビを点けたら関西の番組が放送されていた(名古屋は割と関西ローカルの番組がやってます、新喜劇も笑)。内容はお金にまつわる自分ルールを一般の人にインタビューしてるものだった。長財布やら、お札の向きを揃えるなど僕でも聞いたことがあるものから、冷蔵庫に入れる、はたまたヘビ皮の財布でしかもお頭付きというとんでもないものまで紹介されていた。

  自分も少しは、いや余りにも中途半端にお札揃えたりはするが、皆様方ものすごくお金に敬意というか気を使ってるみたい。で、このお札の向きである。ネットで調べると財布のお札の向きは、人物画がある方を表にして上下逆さまにならないように入れるのが一般的ルールのようである。しかしこのことをネットで調べる前まで自分は、上下逆さまに人物画の頭を下にして入れてた。これが正しいと疑いもなく思ってた。なぜか。レジでお札のお釣りを右手に受け取ってそのまま財布に入れると、逆さまに収納されてしまうからである。レジの人がそうしてくれているのだから、そういうもんだと思ってた。だからお金がたまらなかったの?(いや自分の心の弱さのせいです)
  自分は昔から人とズレてて、一般の人と逆のことをしてしまう事が多い。反射的にそうしてしまうみたい。右向けと言われれば、反射的に左を向いてしまう人間である。そうだとしても、レジの人も上下逆さまになるような渡し方はしないはず。もう少し踏み込んで調べてみると、どうもお客が左手でお札を受け取る事前提でお札の向きを出してるようだ。ヘェ〜。右手で受け取らないの?右利きじゃないの?左で受け取るの?確かに左手で受け取れば逆さまにならず入る、僕が変?(そう言えば喫茶店のコーヒーカップの取っ手も、左側に向いてるんだよな…)

  しかしこんなにお釣りのお札が揃ってる国は多分日本だけだろう。世界のお金持ちがいる国を少なからず見てるが、お札が綺麗だったことはないし、揃ってたことはない。日本は本当お金に意識がある国だ。僕の知ってる店では、お釣りはピン札しか出さない。こういう美学は、お金を大切にしてることの表れだし、それだけお金を意識してるということ。無駄遣い防止にもなるだろう。日本では金持ちほどこの傾向があるように思う。自己啓発本が好きな国だからかな?、トイレを掃除するとか笑

  街が綺麗な国は間違いなく平和である。悪いことではないなぁ、綺麗であることは。

By The Way

僕は何かと抜かれることが多い。抜くなんてことは、気分が興奮してるとき以外ないんじゃないか。昔からのんびり屋とよく言われてきた。競争は好きじゃないし、勝ち負けの世界にあまり心を動かされない、意味も感じない。その人にしかできないことに惹きつけられる。

 

しかし…抜かれると何かムカつくw  先日抜かれて本当ムカついたことがあった。

 

僕は趣味で登山をする。ここでも抜くより抜かれる方が多い。特に景色を楽しむためゆっくりしてるわけではなく、周りと時間の流れ方が違うので抜かれるのである、いや単純に遅いだけなんだけど。先行く人にはニッコリと挨拶しつつ、何を急いでいるんだろうと心の中でケチをつけてる。で、その登山の翌日の話である。登山の翌日は毎度毎度ひどい筋肉痛になっているため、傍から見たらペンギン歩きの状態。そんなペタペタ歩きでバス停の並んでる列に向かっていた。少しずつ近づいていき、あと一歩で列の最後尾に着くというタイミングである、突然横からおっさんにまくられ抜かれた。

 

えっ…そこまでして人の前に入り込む?

 

バスの座席にはその抜いた人までが座れ、僕は立つ羽目となった。正にペンギン。自分がもたもた歩いてたから、イラっとして抜いたんだろうけど、ホント気分が悪かった。まぁこういう時は大体こんなもん。

 

普段から歩きだけでなく、車でも抜かされ、電車の乗車時にも抜かされ。究極はふらっと入った石の装飾品を売る店のおっさんから、突然人生相談が始まり、君は商売はやらん方がいいなと断言されるし。つまり競争には向いてないと(このおっさん、人生相談おじさんとして知る人ぞ知る存在で、人を見る能力が高いらしい、実際そんな感じがした)。

 

この世の中は基本早い者勝ちだ。そうであるが故、どうしても競争に晒される。競争に向いてないのであれば、競争のないところで、自分を追求するという生き方を模索した方が長い目で見れば幸せ。それを見つけて軌道に乗せるまでは大変だけどね。人に勝った負けたより、自分が納得できたかどうかの方が重要。なのに人との競争に悔しがる自分はまだまださもしいなぁと。ホントどうでもいい事だけに余計ね…