作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

ヒーローズ

さくらももこさんが先日亡くなられた。


子供の頃お金もなかったので、身の回りで読むことができるマンガなら何だろうと読んだ。妹が読んでた少女マンガでさえもw
そんな頃リボンという少女マンガ雑誌に連載がスタートしたのが、「ちびまる子ちゃん」だった。初めて読んだ時の種衝は今でも忘れられない。


「わぁ、平らぺったくて下手くそな絵」


子供心の正直な感想である。他の掲載されてるマンガが少女マンガと言え、力量のある派手な作品が多い中、完全に異彩を放っていたこの「誰でも描けそうな絵」。しかし結局誰も真似ができなかった。オンリーワンな存在。こういう人を天才と言うんだろう。
絵に圧がなければ、ストーリーにもドラマ性という圧がない。とにかく緩い。全くドキドキ感のないよくある日常生活の一コマで物語が進んでいく。このことが女子が思う「かわいい」に火をつけたんだろう。自分も当時から割と「かわいい」には敏感w
同時期にリボンで連載されていた「お父さんは心配性」と共に、マンガを変えた作品だなぁと個人的に思っている。
ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。


さてこの「ちびまる子ちゃん」が連載されていた1980年代は校内暴力が問題になるなど、学校は血気盛んな時代。ヤンキー、体育会系が幅を利かせ、先輩後輩の関係が厳しく先輩は神であり言うことは絶対。理不尽な命令にも後輩は絶対服従。そんな中で生き抜くためには要領を覚えてかわいい奴でいなければならなかった。当時はそんな世界があることに憂い、幼心にこれから迎える将来を不安に思ったものである。


そしてこの頃の時代の寵児と言えば、とんねるずだった。体育会系そのままのノリで絶大な人気を誇り、みんなが真似してた。世の中をおちょくったような笑いは、色々とストレスの多い中学生活の中でカタルシスが感じた。ノリでおふざけすればいいと。なので学校内外問わずおふざけした。それがストレス解消になったこともあるし、度が行き過ぎて嫌な思いもしたこともある。まぁ今覚えばみんなでおふざけを共有することが楽しかったんだろう。


そんなとんねるずだけれど、最近人気が凋落しているという記事があり、そのことについてみんながSNS上で話題としていたので、意見に目を通した。そのほとんどはとんねるずに対して否定的だった。なぜならとんねるずのあのノリに馴染めなかった人たちの意見だったから。理不尽な体育会系のノリを当時毛嫌いしてた人、学校内にある体育会系やヤンキーを頂点とするヒエラルキが嫌だった人。自分も当時はそれにビビってたので、なんとかそんな人たちと上手くやっていく手段を常々考えていた。要領よく付き合うという処世術。それができない人は酷い目にあってた。そんな人はとんねるずは嫌だったろうことは想像できる。


そんな中、面白い意見があった。


とんねるずの人気が凋落した一方、おちょくられる側の出川哲郎が今人気絶頂であること。


・当時迫害をもろに受けていたアニメオタクの人たちが今人気漫画家となり、アニメ人気の原動力となっていること。


むむっ、これはある種の復讐劇でないか!モンテクリスト伯のごとく(読んだことないけどw)。迫害を受けていた人がめげずに夢を実現させ活躍することにより、世の中の人が持つ偏見がなくなっていく。一生懸命必死でやってる人間を貶すのでなく、応援する土壌を作った(とんねるずが決して一生懸命やってなかったわけではなく、あの時代の中で一生懸命やってたはずだろうけど)。


昔の出川哲郎と言えば、「こいつになら何してもいいだろう」という存在。所謂いじめの対象だ。彼がいじられている姿を見て楽しんでいた人も多かったろう。当然世間の出川に対する評価も散々で、抱かれたくない男性のトップ常連だった事に現れてるとおり、気持ち悪がられていた。それが今では愛されキャラである。まさに大どんでん返し!w  アニメも同様で今ではアニメ無くして日本は語れない程だ。


時代は変わる。いや変えられる。その時代の雰囲気に迎合せず、やりたい事を一生懸命やってれば周りが変わっていく。そしてある時世間が変わったと気づく。なんて希望のある話だ。今彼らが時代のヒーローなんだろう。


そして、ちびまる子ちゃんもまた今の緩い時代を作ったヒーロー。緩いっていいよ、本当。