作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

カメラ カメラ カメラ

映画「カメラを止めるな」見に行ってきた。あれだけ騒がれていると気になって仕方がないw  売れるとはこのように騒ぎができて、自分みたいな野次馬が続々と増えることを言うんでしょうね。


さてさて、自分がこの映画に興味を持ったもう一つの理由。それはこの映画の総制作費が300万と謳ってあったことである。ハリウッド映画なら300億円もざら、日本映画でも数千万。300万円でどれほどのものができるんじゃいと、ちょっと上から目線で興味が湧いたからである。で、実際見てみてどうだったか。300万円でここまでのクオリティーの作品が作れるんだというショックを受け家まで帰った。敗北感と言うのか、すごいなぁと思いながら。


何でこんな気持ちになったのか。


自分も音楽を作っていて、その編集作業であるミックス・マスタリングまでやるのだが、まぁプロに比べればイマイチな音の仕上がりである。そのイマイチさをどこか環境のせいにしてたからである。
機材が良くない、時間がない、知識が足りない、いいプレーヤーがいない、作曲者が編集までしたくない…


映画を見終えた後、正直に
「ここまでのクオリティーなのか!!!」
っていう驚きしかなかった。何かのせいにしてる人はダメですね…


映画で制作費300万といったら自分の想像でしかないけど、出演者やスタッフ、セットなどの費用にほとんど消えていくだろう。じゃ制作費を削れる部分といったら?撮影や編集作業だろう。自分でこなせばその分が浮く。


今のご時世、この撮影と編集作業が昔に比べれば格段にお金がかからない。技術の進歩のお陰で。これは音楽の世界でも一緒で、録音・編集がスタジオじゃなくても自宅のパソコンの中だけで、全部行えてしまう。機材もソフト化され、その値段も今はピークなほど安い。下手すりゃタダ。


昔はやる気があっても制作にお金がかかるので、自分をアピールして人や金を集める能力も別途必要だった(今も多少なり必要なんだろうけど)。
それが今では、20万もあれば制作環境が整う。後はやる気次第。その作品を披露できる場も多い。


しかしこの編集の実作業、中々感覚派のアーティストにとっては大変でして。音楽制作で例をあげれば、各楽器の音の大きさの調整、音の加工(エフェクト)、ドラマチックな演出、ボーカルの補正(外れた音の修正、要は音痴対策wなど)の部分。このような実作業は職人的要素が強い。確固たる技術と知識がないとできない作業である。これはいくら道具が揃ったところでしっかりと時間をかけて勉強しないと使いこなせない。映画も一緒だろう。この監督さんの編集技術も普通の金のかかった日本の映画と遜色なかった。アイデアも技術も兼ね備えた人なんだろう。

 


この映画でよかったと感じた点は、娯楽映画の王道を守りつつ、チャレンジをしていたから。娯楽映画と言えば、善人の主人公がクセの強い登場人物に翻弄されながら、目的を奇跡的に達成するドタバタ劇である(主人公がクセの強いパターンもある)。そんな基本にプラスして撮影を止めず演技を長時間続ける長回しというチャレンジをしている。長い時間撮影をするためには、連続するシーンすべてを段取りしておかなければならず、この間演技も当然NG厳禁である(あっ、この映画に限っては、NG厳禁ではないみたいだけど)。とにかく手間がかかるので普通低予算ではやらない技法。
この監督さん、こういうはちゃめちゃな面もありつつ、基本ができてる人だなぁと率直に思った。

 


最近は便利なツールも増えてきてて、AIが編集するなんてものもある。しかしそういうものを駆使して制作しても、どうしてもクオリティーの高いものができない。それは基本を理解してないから。便利にかまけて基本を学ばず、わかったふりして作業してるから失敗する。基本を学ぶことがことは大切である。その基本を理解した上で、自分らしさを出す。


ここ数年映画から遠ざかってた。それは売れ線を狙って単純すぎたり、過去の名作と違ったことをしなければという思いからなのか複雑すぎたり。もっと単純な、見てて疲れない映画を欲してた。80年代ぐらいまでの映画のように。そこにこの映画である。やっぱり基本ができているものはいいなと。
そんなことを教えてくれる映画でもあった。