作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

無限大

薄々感じてたことであったが、最近確信に変わったことがある。それは譜面を見ながら弾き語りができないということ。

元来不器用な僕は、マルチタスクが苦手でシングルタスクな人間である。そんな奴が歌うこと、ギター弾くことにプラスして、目で譜面を追っかけるなんてことを同時にできるわけがない。何年も練習してもできないんだから、譜面を見ながらなんて諦めて、歌詞とコードを覚えるべきなのに、怠け癖と物忘れを補完するためにどうしても譜面に頼ってしまう。しかし人前で譜面を見ながら歌うと、緊張も相まって毎回譜面上で迷子になり、動揺して演奏がつまる。
どうも譜面を見ながら歌うのと、見ずに歌うのでは感覚が違う。見ながら歌うと視覚に意識が集中し過ぎてしまう。なので他の感覚、聴覚やら指の触覚、また気持ちの入り方が疎かになってしまう。

 

人生を振り返ってみても、小学生の頃から目を使って何かをするということが超苦手。スポーツならボールを使った種目。野球、サッカー、バスケ、バレー、卓球ことごとくダメ(ボーリングもダメなのは別の要因?)。ゲームならシューティングゲーム格闘ゲームなど。反射神経を要するものはダメなのである。でも視力は良くて、目を酷使するプログラムの仕事をしていても1.5を切ったことがない(あまり集中して仕事をしてない説もある…)視力がいいことと反射神経がいいことには相関関係はないということだw
それに比べて音で判断するものは得意だった。ハーモニカ、縦笛。目で注視するのでなく耳と指の感覚だけで演奏するという感覚が心地よかった。ギターを始めても最初はコード弾きのみしていた。しかし友人の弾く早弾きなるリードギターを触発されてからというもの、タブ譜を見ながら、反射神経が必要となるフレーズを練習し続けた。そしたら頭が混乱したのか相当ストレスだったのだろう、体が拒否るようになり運指をする左腕に支障をきたし、それ以降リードギターを弾くことを諦めた。今思うとタブ譜を見ながらというのが良くなかったと思う。なので今の自分のギターは頭の中で生成されるリズムをそのまま感覚的に弾くカッティングスタイルだ。

 

しかししかし、アマの演者さんを含め譜面見ながら弾き語りをしてる人で、演奏が詰まる人をあまり見たことがないのも事実。練習の賜物なのか、脳のマルチタスク能力が高いのか、はたまた実は格好だけで譜面は見てないのかわからない。こんなことができないことにちょっぴり劣等感を感じてしまう。
いずれにしろ努力してもできないことに時間を割いても無駄。ハゲの人が努力しても毛がボーボーにならないのと一緒。できないことに執着するより、現状を受け入れその上で自分の得意なことに精進する。もう譜面台とおさらばするぞ!

となると問題なのは歌詞が飛んだ時のリカバリなのだが。これは昔ブログで書いたなぁ。今自分に必要な練習は適当な歌詞を何食わぬ顔で堂々と歌えるようになることであるw