作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

永遠にともに

先日シェアハウスなるものに遭遇した。おしゃれな看板が目に入り、そこにそう書いてあった。初めて見るシェアハウス。
僕の利用する地下鉄の駅の付近は、古い雑居ビルが多い。そんなビルの一つがシェアハウスとしてリフォームされたようだ。
話には聞いていたシェアハウス、僕の中の好奇心がうずく。一体どういうところなんだろうと近づいてみる。ビルの正面に昔ながらの観音開きのガラスドアが見える。エントランスと言うよりは玄関。中をチラッと覗く。沢山の靴が散乱している…「?」と思いビルの上部を見上げる。古いビルの閉め切った窓から干した洗濯物が透けて見える。なんだこの感じは!!!これって正にザ・昭和じゃないの?シェアハウス=寮なのか?w

もので溢れている今の日本。貧乏な自分ですら特に欲しいものはない。強いて言えば人が持っていないものぐらいだ。そういう希少なものは値が張るため、特に価値を見出せないものにはできるだけお金をかけたくない。なのでそういうものに対してはシェアは理にかなってる。シェアハウスであれば、同居人との団欒というおまけもついてくる。

シェア=みんなと共有すること、これが普通にできる人は今っぽくて、苦になる人は過去の人というような風潮がどこかあるような気がする。しかしみんなは一体どこまでシェアを許容できるのだろうか?シェアの代表格としては部屋、車、自転車だろう。これくらいであれば、人によってはあまり躊躇なくできそう。次のレベルとして、服、靴、アクセサリー、自分が注文した食べ物など。このあたりになると所有の感覚と思い入れの感覚が出てくるので、自分の場合は躊躇し始めるレベルかもしれない。仮に他人が自分の服や靴を使ってると想像してみると嫌だなぁと感じる。食べ物についても、人数分きちんと数があればいいんだけど、少なかったときのあのみんなが手をつけない雰囲気はちょっとねぇ。 あと残り一つの時とか。僕の第六感にビリビリ何かが伝わってくるw
さらに上のレベルになると、大切なものやコレクションしているもの。少なからずものへの執着がある人ならシェアすることは難しいだろう。一度コレクターの方からCD借りたことあるけど、絶対傷つけないでねと念をされた事を思い出す。という自分もギターは人に貸せないなぁ。 絶対傷ついて返ってくるから。僕の友人はヤンチャなハードストロークの人たちばかりなので…

所有欲が強いのと強くないのとどちらがいいのか。少なくとも所有欲が強い人の方がモノを大切に扱う。それが行き過ぎると未使用のコレクションとなるw
ただ最近、所有欲や思い入れは強ければ強いほど執着や嫉妬の原因になるという気付きがあって。人を傷つけたり、最悪犯罪に繋がってるニュースを目にするし。また自己中な人も少なからずいる。周りが目に入らないのか。たまに車はピカピカなんだけど、窓からゴミやタバコの吸い殻を平気で捨てる奴もいる。自分以外のものはどうでもいいという感じがして見てて嫌だ。

それに対して所有欲が強くない人は、こっちが拍子抜けするぐらいモノに対する執着がなく、人に簡単にあげちゃう。断捨離が流行ってる昨今、自分もそれに例外なく影響を受けてる身としては、こういう人を見てると何か悟ってるというのか、上のレベルの人のように見えてくる。ただ人間関係もあっさりしてるようなので、なんとも言えない部分はあるがw

 

シェアハウスの話に戻る。自分はシェアハウスに住むのは無理だろう。割と縄張り意識が強いし、他人にパーソナルスペースに入ってこられるとストレスを感じる。ある意味すごく動物的に。変な空気感出してるかも。電車ですらそうだから… さらに人に対する信用度も低い。こんな人は無理でしょ?w ひとりの時間が必要な人にとっては縁のない世界かな。それなのに寂しがり屋だったりする、アンビバレントな自分。だから気になるんだろうね、シェアハウスが。うらやましいような、うらやましくないような。なかなか人に心が開けない人間にとってはハードルが高い場所だけど、心のどこかであこがれがあるんだろうなぁ、きっと。