作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

ランナウェイ

「追えば逃げる美、追わねば追う美」
「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」

先日三重県菰野町にある美術館「パラミタミュージアムの企画展に行ってきた。お目当は河井寛次郎。日本の著名な陶芸家である。昔テレビで彼の特集を見て以来のファンで、名古屋から京都の河井寛次郎記念館まで行ったこともある。とにかく美のセンスの塊のような人。知らない人には一見をオススメする。冒頭の言葉は今回見た展示会の中で見かけた言葉だ。

 

「追えば逃げる美、追わねば追う美」
これは自分でもよく思い当たるフシがある。自分から積極的に追っかけた女の子は、一度もうまく行ったことがないw  追っかけられた方がうまくいく。追っかけるのをやめると、別の美しいものに出会うことはよくある事だ。

 

でもう一つの「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」という言葉だ。禅問答のような言葉が妙に引っかかってしまって。

これは一体どんなことを言ってるんだろうか。フワッとは理解できるんだが、モヤっと感が残る。

 

美。美しいものはみんな大好きだ。だからそれを目指して追っかける。
美が追っかけてくるとは…美女に大勢で追っかけられたら、どんなに幸せなことだろうか…いやそんな事を言ってる訳じゃないだろう。
なんだ美が追っかける仕事とは?スターになれという事か?いや、いい加減そこから離れようw

 

しばらくしてある言葉を思いつく。「型」という言葉。「美」を「型」に置き換えてみると腑に落ちるぞと。寛次郎の言いたい事とは違うかもしれないが、自分はそう理解した(言葉とは難しいなと思う…解釈次第でどうとでも取られて本人の想いとは違ってしまうことがある。違ったらスイマセン…)

 

「型を追っかける仕事と、型が追っかける仕事」

現在までに世の中の人が作り出した作品は、大きく分けると二つの世界に分類されると思う。それは型の中で勝負する世界と型からはみだしちゃってる世界。

型の中で勝負する世界とは、ある型を模範にして、その中でより良いものを作ること。ブームの波に乗っかるのもその一つだろう。第一人者の真似をしてものを作る。これはみんなが通る道だろう、どんな偉人でも。
特に今のご時世、売れる為の型に合わせなければならない風潮なので、そういうものが巷に溢れてる。

型の中で勝負するメリットは、結果が早く出る可能性が高いことだろう。産業、飲食、サブカル、音楽、芸術、一度ブームが生まれるとみんなその型を追っかける。器用だったり能力が高い人なら名を挙げるには1番の近道。僕の好きな近代の芸術家を見ても、若い頃の作品はピカソゴッホなどの影響がもろに出ているものが多い。それはある種仕方ない。無名の人がいきなりその時代のブームから離れた事をしても、誰も評価してくれないから。今回取り上げてる河井寛次郎も有名作品の模倣のような作品も少なからずある。

じゃ型の中で勝負するデメリットは。それはブームが去った後は、何も生み出せなくなること。どんなすごいブームも終われば誰も追っかけなくなる。今の芸術家でピカソゴッホっぽい作品を描いてる人なんてほぼいない。それはブームじゃないから。〜ぽいねで終わる。ブームとはそういうもの。

じゃ次の別の型で勝負すればといってもその型にどっぷりと浸かった後では、なかなか切り替えるのは難しいだろう。今までやってきた事を全て捨て去る覚悟がいる。

 

対して型からはみ出しちゃってる世界で勝負するとは。型を無視すること。自分の中のプリミティブな感性をそのまま作品にすること。人がどう思おうが気にせず、自分の美を貫くこと。それが勘違いからだろうが、変態性からだろうが。これが人から評価された時、その人に対して型がついてくる。唯一無二の美として。

 

「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」とはそういう事なのかと思った。巨匠と呼ばれる人は、絶対自分の型を持っている。その型は最初から持ってる人もいれば、人生の分岐点で手にする人もいる。いずれにしても他人が作った型から離れないと、自分の型はついてこない。

じゃ型からはみ出した方がよいのか?多分だけど寛次郎は、どちらがよくてどちらが悪いということを言ってはいないように思う。要はバランス感覚だ。大御所ミュージシャンで今も売れてる人は、音楽的な流行りもいやらしくない程度にうまく取り込んでいる。そのブームのど真ん中にいる人にもアピールしないと忘れ去られる。

よくあの人の作風は変わってしまったなんて批判する人がいるけど、作り手は変わっていかないと何も生み出せなくなる。作風を変えることは不安でしかないにも関わらず。そして変化できて評価されればその人に新たな型がついてくる。それができなきゃ消えていく。芸術家は同じことやってたら飽きられる。

 

 

最近曲作りであることを感じるようになっていた。それは曲を思いついた直後(人によっては降りてきたとも言うがw)のプリミティブな状態と、アレンジした後の状態では、なんか曲の雰囲気が違うなと。それは無意識に流行りの音楽の型にはめ込んでいるからなんじゃないかなと。もうちょっと曲にプリミティブ感を残したいなと思っていた、まさにそんな時にこの言葉に出会った。流行りに飛びつくだけでなく、自分の音楽を素直に表現する。そのことの大切さを再度認識させてくれて、勇気をもらった気分になった。どうせなら自分の型がついてくるようになることを目標にしたい。そして美女にも追っかけられるようになりたいという下心もありつつw