作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

踊るマハラジャ その11

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
中島みゆき 「糸」より)

 

  タージマハルがある地アグラに着いた。インドで一番有名な建物であるタージマハル。ここでもガイドを添乗員にお願いすることにした。彼が言うには朝と夕方のタージマハルが色彩があってきれいらしい。なのでタージマハルの見学については今日のところは夕方にタージマハルが展望できるスポットで写真撮影だけとして、翌日実際に見学するのがいいと勧めてくるのでそれに従った。一先ずホテルにチェックインして少し休憩後、アグラのもう一つの名所アーグラ城塞、そしてタージマハルの原型とされる通称ベイビータージマハルと呼ばれるイティマード・ウッダウラ廟、そして日の入りの時間にタージマハルが眺めれる場所に行く。ホテルに着いてこの日一番のうれしい出来事が。なんとシャワーからお湯が出る。さすが観光地のホテルは違うw
  アーグラ城塞ムガール帝国時代にアクバルと言う皇帝が建てた城塞で、インド人に人気らしい(さっき調べ)。どの国も天下を取った人が好きなのは変わらない。イスラム様式の建物で、壁などの装飾は目を見張るものがある。やっぱりお金のかかったものはいいw 城塞の上の回廊からはタージマハルが見える。明日あそこに行くんだと思うとテンションが上がる。絵になるシルエット。奇抜なデザインなのに美しい稀有な存在。今いる城塞もいい建物だが、どうしても戦いという機能性が必要となるのか、宗教的な建物の美しさには敵わない。
  建物内の開放的な講堂みたいなところでマッタリ休憩してると、小さな男の子が寄ってきた。どうも僕と写真を一緒に撮りたいみたい。やっぱりこういう国民性なんだなとちょっと照れつつ、一緒に写真に入った。こういうほっこりする経験はどこの国でもする。どこの国も一般人は人がいい。しかしどうしたもんか世界のニュースではいがみ合いばかり。一部の悪い人間によってこういうことが引き起こされてるんだろうなと改めて感じる。一般人はそれにただただ巻き込まれてしまうという。こういうことが少しずつでも改善されて行く世の中は来るんだろうか。

  その後ベイビータージマハルを見学に行き、この日最後の予定であるタージマハル絶景ポイントに向かう。その道中道を歩いてると獣臭がする。振り向くとラクダが。初めて見るがデカイ。観光用なのだろう。金払えば乗れそうだが、臭いのでいい。ガイドが絶景ポイントに着いたという。と言ってもここはタージマハルのでっかい敷地を囲んでる柵の外。ここならタダ。タージマハルをバックに写真撮るには、いい距離感の穴場なので、ガイドは勧めたんだろうが微妙。そして日没にはまだ早く、全然夕焼けに染まった感じにもなってない…これまた微妙だなと思いつつ、待つのも面倒だったので、写真を撮ってもらいその場を後にした。

  ホテルに戻る途中、ガイドに缶ビールを買いたいとお願いすると、任せとけと言う。インドでは一般的には飲酒をしないせいか、どこで酒を売ってるの検討がつかない。店に寄ってもらい、軽いスナック菓子(カレー味)と共にビールをゲットするが、なんか闇取引してる感覚を覚えた。そしてホテルに戻って1人晩酌。なんか妙に酔っ払った。

  翌朝満を持して、タージマハルに向かう。タージマハルの敷地はかなり広い。敷地内に入ってもタージマハルがどこにあるかわからないくらい。なので人の進む方向について行く。とても日本人的に。
入り口を抜けると真正面にそびえ立つあのシルエット。とにかく真っ白けっけの世界。さすがに圧倒される。これは写真を撮ってもらいたいなと、目ぼしい人はいないかキョロキョロする。するとある白人から写真を撮ろうかと声をかけられる。でも直感的に断った方がいいと頭をよぎる。しかし旅の疲れからか判断が遅れる。そして向こうは百戦錬磨の強者なんだろう。流れるかのように僕からカメラを取り上げ、タージマハルのてっぺんをつまむようなポーズを僕にさせ、いくつかのバリエーションを撮ったところで、撮影終了。そして代金請求である。こんな感じで過去騙されたことがあっただけに防げたはずなのに、ムカつく!

  タージマハルの中に入る入り口はさすがに列ができている。そこでビニールを二つ渡される。そのビニールの口はゴムで閉まるようになってる。イスラムの施設は土足厳禁なので、靴の上からそれをつけろと。すごい違和感w  中はそれほど広くなく、暗いので外の煌びやかさに比べれば落ち着いた印象。でもよく見ると金はかかってる。中よりもメインの建屋の周りを歩いてる方が気持ちいい。猿もいてのんびりしてる。日光と違って観光客を襲う感じもないし。ムガル帝国の皇帝が若くして亡くなった愛する妻のために建てた霊廟。黒いバージョンの自分の霊廟も作ろうとしてたらしいが、さすがに金がかかるが故頓挫したとか。愛する人への想いが形として実現したものの中で、最も豪華なものの一つなんだろう。

  こうしてインド観光の全行程を終える。そして最後に待っていたのは、空港のあるデリーまでの移動。車での移動で5時間越えの超ロングドライブ。寡黙な運転手と会話のないまま、車内に流れるインド音楽と共に。途中田舎道でなにもないところを走ったり、迷ったそぶりを見せたり。不安になりながらも無事空港に着き、日本への帰路についた。

 

  あれから2年経つ。旅を終えた直後はあまりにもカオスで、人だらけで、物乞いは多く、食い物はカレーのみで、移動の辛さでと疲れてしまって、もうインドはいいかなぁなんて思っていた。しかし日が経つにつれ、またフツフツとあのカオスを懐かしく思う気持ちが湧いてくる。それは自分が天邪鬼だからかも知れない。でも他の国とは違う、独自の文化と神秘さに何か惹かれてしまう。またインドは平和を愛する国だと勝手に思い込んでいたが、実は争い事、特に宗教の違いによるものが多いことも目の当たりにしていた。空港、地下鉄、遺跡や博物館など、厳重な荷物検査とボディチェックがあり、過去に何かしらあったんだろうなぁとは感じた。実際に行って見ないとわからないことであった。
  ある日本の女性でインドでヨガを勉強した経験がある人が教えてくれたんだけど、鏡の法則と言われるものの考え方があって、この世界は自分自身を映す鏡のようなものだと言う。そしてインドは特にこの傾向が顕著だと。心の状態が悪いとインドでは酷い目に遭うらしい。僕も人はどこか根っこの部分で繋がっていて、良くも悪くも想いは伝わると思ってる。インドでは良いことも悪いこともあったけど、今思えばその時の僕の心の状態とリンクしていたのかな。なんか無い物ねだりかも知れないけど、人間臭さが色濃く残り、他を寄せ付けない固有の文化、人のエネルギーとなんか伝わってくる気怠さ、そして神様がいっぱいいる国。その奥深さに駆られて、またいつか行くんだろうなぁ、懲りずにw