作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

踊るマハラジャ その7

川の流れのように
人はガンジス川に何を求めに行くんだろう

 

  ガンジス川のある地、ヴァラナシには昼前に着いた。遅れることで悪名高いインドの列車の割にはそれほどでもなかった。
この地で世話になる添乗員は若く二十歳そこそこといったところ。どうやらホテルに向かう前に昼食を取るスケジュールらしい。まぁ店屋と何か提携してるんだろうなぁと思いつつ食事の気分の向かないまま店に向かう。当然カレー屋さんw 店に入ってが客は誰もいない。いくら一人旅とはいえ、誰もいない店だとさすがに滅入る。なんか騙されるんじゃないかとね…

  昼食を済ませホテルへ向かう。その道中車内では恒例のガイドの売り込みが始まる。でも今回は素直にお願いすることにした。デリーでの経験を踏まえて。インドではガイドなしではきついんです。
ガイドの内容としては、今日の夕方からガンジス川に行き、お祈りの儀式を見る。翌日は早朝にガンジス川クルージング。昼から市街地観光となる。
  添乗員は昔日本の有名人をガイドしたことがあるんだと自慢し始めた。でもはっきり名前を覚えてないらしい。ミュージシャンで坊主頭で実家がお寺でなど特徴が出てきた。ファンモンの人?と聞いたら、そうらしかった。みなさん導かれてるw

  ホテルに着いた。夕方のガンジス川観光まで時間がある。列車移動で寝不足だったのでシャワー浴びて少し寝ることにした。しかしインドのホテルのシャワーはどこもほぼお湯が出ない。お湯の蛇口をひねってるのに、いつまで待ってもお湯は出てこない。暑い国には不要か…すでにお風呂が恋しい。

  夕方になり添乗員と共に、ガンジス川観光に行く。地方都市とは言えそこは聖地、道沿いには多くの店が軒を連ね多くの人が歩いている。まるで縁日のお祭りのようだと言いたいところだけど、基本インドの街はどこでもお祭りのような雰囲気なんで、ある意味変わらない風景。デリーでは見かけなかった牛が普通に道路を闊歩してる。車を降り、添乗員に導かれガンジス川に続く道を進む。

「キヲツケテネ、ソコ!」

ソコ…にあるのはウンコ!!巨大な牛のウンコ。踏んだらそいつに靴全体が包まれるほどの。
  余談だが今回の若い添乗員さん。かなりできる男である。ガイドの仕方、担当外の観光客や同業者への接し方、全てがスマートである。さっきみたいに道にウンコが落ちてればすぐさま教えてくれるし(ヴァラナシの道は牛に限らずいろんなウンコが至る所に落ちてる)。 どこの国にもこういうできるやつはいる。どうもこのお兄ちゃんガイドで知り合った日本人の女の子と付き合ってるそうで、近い将来その子と結婚して日本に行くそうだ。関西の子らしいけど、もう来てるのかねぇ。


  ガンジス川、現地名ガンガー。近づくにつれ気分が高揚する。自分の中でいろんな思いが湧き上がり交錯している。行くと人生観が変わる、仙人みたいな修行者、人や動物の死体が流れてくる、生と死が交錯する神聖な場所…
  川のほとりに着くと、インド音楽が大音量で流れている。添乗員によると川に面している建物の最上階のテラスで、祈りの儀式を毎日やっており、その儀式をガンジス川の岸に停められている船の上から観るというのが、今回の夜のガンジス川観光の趣旨。
  普通宗教の儀式というと厳かなものなので、見てて決して面白いものではないが、このインドの儀式は見ててなんか楽しい。儀式の最中ずっと大音量でインド音楽が流れ、まるでフェスのよう。儀式を行なっている司祭もそれぞれダンスと言ったら怒られそうだが、踊りつつパフォーマンスをしている。ヒンズー教について何も知らない自分にとっては、この儀式は神様を崇めているというよりも、なんかもてなしているように感じる。暖かい国は儀式も陽気だ。
  個人的な想いだけど、葬式は明るい方がいいと思ってる。しんみりするより、故人の生前の思い出を楽しく語りながら、メシを食べたり酒を飲んだり。儀式ばって一方的なものよりは。死にもいろいろあるので一概には言えないけど、本人が望んでるんであればそれもありかと。

 

  自分がガンジス川に期待してたものは、夜ということもあり見ることはなかった。翌日はいよいよガンジス川のクルーズ。一体何を体験できるのか。そして川に浸かりたい衝動にちょっとだけ駆られてた…