待たされて
ホントに最近待たされる。前にブログでも触れてるが、現在も状況は変わらない。
車は修理に引き取ってもらうまでに1ヶ月かかったが、それから2ヶ月連絡なし。
初診で病院の受付を8時半に済ましたが、予約が優先とのことで、診察が13時以降。遠くの病院だったので待ちぼうけ。
アマゾンで在庫ある商品が、届くのに6日かかった。過去最長。
…
うーん、別にそのことに対して怒ってる訳ではないんだけど。不幸なことが起きてる訳でもないし。でも何かなぁと。
自分だけなのかなっていう被害妄想。
最近ツイてないので、余計気になってる。
人生を海に例えることがあると思うけど、大波小波であれば、それらはすごい小波である。
でもその小波ですらずっと続くと嫌になるし、気にし始めるとボディーブローのように効いてくる。
こんなことで心が曇ってしまう。
けんかも、親であろうと友達であろうと、発端は極めてしょーもない小波なことが多い。
言った言わん、遅れてくる、借りパク、だめなとこ批判、メシのこと、お金…
ただこれらに対する不満が積み重なっていくと、心境に変化がでてくる。そしてたった少しのことで、過剰反応するようになる。
終いには雪崩の如く爆発し、事によっては事件になるときもある。
嫌なことの積み重ね、いいことの積み重ね。
感じ方としては前者は足し算、後者は引き算のように思う。
嫌なことは積もり積もっていって爆発。いいことは常にフルの状態を保たないと印象が悪い。
だから小さい頃からいいことをアピールしておき、悪いことはまた怒られないように隠そうとする。
しかし日々いい事も嫌な事もあるのに、いい事にはなかなか気付けない。反応するのは嫌なことだけだ。
当たり前のありがたさ。
その当たり前がなくなった時のダメージは、計り知れない。
気にかけてもらえるありがたさ
作ってもらったメシのありがたさ
元気でいられることのありがたさ
太陽のありがたさ
自然のありがたさ
よく寝られた休日のありがたさ
…
今はパッとこれくらいしか浮かばなかったけど、改めてありがたさを感じてみる時間は必要だ。そして嫌な事は振り返らず忘れる事。
先人達も似たような言葉を残している。いい事嫌な事の対処の仕方。それが生きる上で大切なんでしょう。
くだらない話でした。