作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

東京

  どうも暗黙の了解なのか、歌詞に使っていい都市と使って行けない都市があるように思える。

よく歌詞に使われている都市や街
東京、大阪、横浜、神戸
渋谷、新宿、原宿、下北沢、秋葉原、池袋、上野(古いかw)、茅ヶ崎、湘南
海外だと
ニューヨーク、カリフォルニア、L.A.(ロスアンジェルスだとダメな気がする)、ロンドン、パリ、香港

逆にあまり使われていない都市や街
名古屋、福岡、仙台、京都、神奈川、埼玉、千葉
品川、恵比寿、自由が丘、三軒茶屋、栄(名古屋)、名駅(名古屋)、内海(名古屋近郊の海)
海外だと
カナダ、オーストラリア、ドイツ、イタリア、スペイン…アジア、中東、アフリカ
ワシントン、ボストン、ローマ、モスクワ

  人が外から集まってくるところは歌詞として使われていて、大都市であっても定住している人が多いところはあまり使われていない気がする。
それはその都市に対して憧れや思い出があるかどうかなんでしょう。その街の名前を聞いた時に何かを思い出す、共感する人が多い街。東京なんてその代表かと。また名前が有名でも、観光や遊びで行くような一見のところは使いにくい。

  ふと名古屋をテーマにした曲を書こうかなと思ったんだけど、名古屋というワードがすごく使いにくい。 なぜなら名古屋は典型的にずっと定住している人が多い街だし、他県の人が魅力を感じない都市らしいし、観光都市でもないし(でも意外と海外からの観光客は目にする。正直何を見に来てるのか全くわからない…もしかしたらその外国人になぜ来たのか聞いた方が、僕らの気づかない名古屋の魅力がわかるかも知れない)。
名古屋という街は住みやすくて好きなんだが、言葉にカッコ良さを感じない。まぁ名古屋人になんで名古屋が好きかと聞いても、ほとんどの人が住みやすいからと答える街だから、良くも悪くも魅力がないのは仕方ない。

  じゃあどうするか。ビートルズ戦法がある。リヴァプール出身の彼らはリヴァプールという都市名を歌詞に使っていない(マニアの人、間違ってたらスイマセン)。そのかわり、そこにある場所の名前を使っている。かの有名な曲、ストロベリーフィールズやペニーレーンだ。
さて名古屋の場合。使えそうかなと思うのが、
名駅
ナナちゃん(名鉄百貨店のキャラクター)
テレビ塔
100メーター道路
セントラルパーク(ニューヨークではない)
名古屋城
味噌カツ味噌煮込み、味噌おでん(3大味噌料理)
台湾ラーメン
あんかけスパ
手羽先
モーニング(喫茶店で朝コーヒー頼めば、無料でトーストとゆで卵が付いてきます)

うーん使いづらい。出てくるのは食べ物ばかりだし。諦めよう…いや頑張る、いつの日か!

 

   話は変わりますが、ブログを始めて一年近くが経とうとしています。1週間に一回書くと言うのは簡単そうで、結構大変なんですね。割と遅れたりしましたが…特に文才がある訳でないので、書くのに時間がかかってしまったり、文章に詰まってしまったり、書くネタがなくなってしまったり…でも書き続けることで、学んだこと多かったです。いかに自分が言葉のボキャブラリーがないこと、主語が抜けてしまうこと、読む人の側に立って書けていないこと、文章の途中でテーマが変わってしまうことなど。わかっていてもまだまだ悪い癖は治ってませんが、今後も頑張って書こうと思ってます。ただちょっと書くペースを落とします。歌詞を書く時間を確保したいため。2週間に一回のペースで続けて書いていきますので、今後共よろしくお願いします。

Super Star

  この世の中にはスターと言われる人達がいる。俳優やミュージシャンやスポーツ選手として活躍している人達。今のスターは本当にスマートだ。身長が高くスラッとしてる。おまけに歌が上手い人までいる…それに対して昔のスターは今とはちょっと違う。スマートと言うよりは無骨。昔のスターを映像とかで見てると、カッコいいなと感じるんだけど、なんか違和感を感じる。例えばミュージシャンなら

ジョンレノン
マークボラン
フレディーマーキュリー
ジェームズブラウン

映画俳優なら
ハンフリーボガード
ジョントラボルタ
石原裕次郎
勝新太郎
松田優作

  いずれもスター中のスターなのだが、違和感がてんこ盛りである。それはどこかカッコ悪さが同居しているから。なのに顔から強烈な自信という圧が出ている。だからなのか顔が大きく感じる、実際に大きいかw これらのスターはスマートなカッコ良さで無く、強烈な個性で人を圧倒するカッコ良さなのだ。

  先ほど挙げたスーパースターを今映像で見ていると笑えてくるものがある。時代なんだろうけど、コミカルに見えると言うのか。例えばジョン・トラボルタなんてあの浮世離れした顔といい、あのヘタウマなダンスといい。でもなぜかカッコ良く見えてくる。挙げたミュージシャンもジョンレノンのビートルズ以降の独特なファッションセンス、マークボランの気味の悪さ、フレディーマーキュリーの上半身裸でサスペンダー、ジェームズブラウンの彼にしかできないダンス。ダッせーと一瞬思うんだけど、その堂々とした強烈な個性にいつのまにか引き込まれている。挙げた俳優の方たちも同様である。で、この違和感は普通なら欠点になるんだろうけど、突き抜けると強烈な個性となりカッコいいのだ。そして見てる方も完璧な人間よりも共感でき、真似もしやすい(これは男性に特有のものなのか、同時代の女性のスターにはこの違和感は感じない。昔から大女優は完璧な美しさだ。)

  最近はこの違和感を感じるスターは少ない。みんな普通にかっこいいしダサくない。しかしこういうカッコ良さは真似したくてもできないんだよね。だって生まれ持った容姿がいるから。それに対して違和感を感じるスターは個性的なのでその部分は真似しやすい。だからかモノマネの人やフォロワーの人達が存在する。人は違和感があるものの方が印象に残る。食べ物でも臭みや苦味など違和感があるものは高級品に多いし、ものでも使いやすいものより扱いにくいものの方が面白い。完璧な美人よりも少し間の抜けた感じがあるほうがいい、これは自分の好みかw  いずれにしろそういうところがクセになり愛着が出る。

  ところで僕は顔がでかい。僕が持ってる違和感に当たる部分。だけど圧はない。スター性もない。倣って圧を出そうかと考えてはみたものの圧を出すと、人は寄り付かなくなるものなので、出すんであればそれなりの決心が必要だ。中途半端はダメでそれを越えた先にスターの道がある。でも別にスターを目指している訳でもないし、そこまでの覚悟もない。スターのジェットコースターのような人生に乗っかったとしても途中で簡単に振り落とされるだろう。スターは孤独だし。怖い怖い。スターの真似をしている素人が一番幸せなのかも。しかしリトル何某というモノマネ芸人は、ネーミングとしては絶妙だなぁ。本人を決して超えないという意味で。

  最近時代劇は世代交代が進んでみんな顔が小さいなぁと見てて思う。それに比べて昔の主役張ってた俳優さんは顔がでかい。顔面から出てくる圧も半端なかった。それにびびって悪党が怯むパターン、好きだったなぁ。こういう顔で演技する俳優さんはこれからはあまり見られないのかな?金八先生も顔がでかいから説得力がある(ように思うw) 顔のでかいヒーローがもっと出てきて欲しい。なんか仲間のようで安心できる。あっ結局話が顔のでかいことは良いことだと思いたいという内容に変わってしまった…

ヘイ ブルドッグ

  あなたがもし犬だったとしたら、忠犬とバカ犬どちらの人生(犬生)を送りたいです?

  こんな事を思ったのもうちのバカ犬を見てのことである。小型犬の特性なのか、まぁとにかくキレてはご主人様にマジ噛みする。言うことは聞かないし、寄っても来ない。台所の床でションベンをする。メシの支度中は吠えまくる。客が来たら突進する…
こんなどうしょうもない子でも、うちの両親から寵愛を受けている。出来の悪い子ほどかわいいのか。

  過去に見てきたバカ犬たちもみんな個性的だった。スルメが大好きすぎて体壊すまで食べ続ける、本の角っこをガリガリ噛むのが大好き(借りた本などかなりの被害が…)、なめ専(とにかく寄ってきてはなめまくる)、嬉ション、何の欲もない(散歩、メシに興味なし、ある種達観していてすごい)。

そう、バカ犬は個性的。そこがチャームポイントにもなり、しょうがないなぁという思いつつもかわいいのである。
それに比べて、人間界では先にあげたことをやろうものなら、簡単に信頼を失うことができる(ごくたまに、こういうことをかわいいと感じる器の大きい女性もいるけど。さすがに嬉ションはマズイかw)
なので人間界ではほとんどの人が忠犬を目指す。勉強をして体裁を良く見せようと頑張る。実際体裁よくしてた方が印象がいいし。人はこの体裁にわりと騙される(最近経歴詐称がバレた人とか、あそこまで自己演出ができるのは究極的にすごいなと)
しかし犬界では、忠犬は一見良さそうに見えるが、なんか可愛くないし、癒しもないし、見てても面白くないし、忠実すぎるとどこか重たさを感じる。勝手なもんだけどw まぁ犬に対しては打算がないから、冷静に判断ができているだけかもしれないが。バカ犬なんか何度同じことやっても、かわいがられるし飽きられることもない(これも人間界では通用しない、冷たい目で見られる)

  一見人間界と犬界では真逆の世界のように感じるが、共通して言えることもある。それは愛される術を知っているものは、幸せに生きられるということ。とにかく相手に脅威を感じさせない、ただ安心感や癒しを与える。僕なんか色っぽい喋り方されたらイチコロだし。こういう人ったらしであることは、共存して生きていく生物にとっては重要なスキルなんだろうな。ただこれを邪魔するのがプライドってやつ。これさえ上手くコントロールできれば快適な人生を送れるのかな。

「メシまだ〜」
「散歩連れてけ〜」
「いつもあなたのそばにいます(おしりフリフリ)」

やっぱり人間界では無理かw

I Gotcha

  なんか最近自分の中で信じていたことに疑念を抱くようになってきた。それは何かをクリエートする際は、プラスする発想ではなくマイナスする発想が大事だという事。
どうしても思いついたアイデアを、良かれと思いどんどん詰め込んでしまう。バンドでの曲のアレンジであれば、メンバーの意見を反映させなければという思いからなおさらである。だから俯瞰的に物事を見れて、余計なものは要らないとダメ出ししてくれるプロデューサー的な人が必要だなぁとつくづく感じている。これがプロとアマの一番の違い。アマの音楽聴くと、ゴチャゴチャ感やなんでこんな余計な事をしてるんだろうと疑問を感じることが多い(しかしなんで人のダメなことには簡単に気付けるけるんだろう、自分の事はからっきしわからないのに…)。それが昨今の流行り、別の言葉で言うと売れてる商品を見ると、先に書いたことが当てはまってないのではないのか?パッと思いつくだけでも

ラーメン
ダブルスープ、具の全部のせ

大福
フルーツてんこ盛り、プリン…

ソフトクリーム
味噌、醤油、わさび、魚介…

映画
アメコミのスーパーヒーローの共演

アニメ
昔死んだ敵キャラが仲間として復活


ワンポイントの刺繍や裏地

音楽
おまけ

  これらも単純に足してるだけでなく、素人では気付かない何かが工夫されているんだろう。しかし何か絶対的な価値観のあるものに、さらにおいしい何かをプラスされるとあっちゃ、僕みたいな欲張りな人間は購買意欲が刺激されてついつい買ってしまう。お得だし満たされる感じもあるし面倒臭くないし。なんとなく興味が湧いてしまうというのがキモなのかなぁ。

  しかしである。日本には「侘び寂び」という先人たちの教えがある。欲張って色々足してもよくならない、調和がなくなると。日本で時代を超越して残っているものはそういうものだと思う。

  確かにおいしいものを凝縮して、パッケージングしたゴチャゴチャ感はそれで新たな価値なんだろう。もちろんその足したもの同士が、相互作用により、1+1=2 以上の効果が出てるものであれば、それは素晴らしいし、新しいものはそうやって出てくる。でも相互作用がないなら、くどいだけでその塩梅は難しい。

  さてこの先もっと足されていったらどうなっちゃうんだろうと心配する。ヒーローもので言ったら、エヴァガンダムドラゴンボールポケモンが共演するとか。大福で言ったら、ケーキやらチョコやら別の大福やら・・・を皮で包む。こうなるともう原型がない。プロなんだからそこまで無茶はしないだろうけど。こういうものが新しいジャンルになっていくんだろうか?読めない。

  ものを書く人間として、足すのは簡単、引くのは勇気がいるという実感がある。足したら何かを引かなければならない。結局人はある時シンプルなものが良いと気づく時が来る。そしてそういうものが時代を超える。

 

  話題にした売れてるものも、そこに魅力があるからなので、そこにケチをつけるのは得策でない。音楽やってるこっちとしては、足すものすらないw ひがみになるなぁ。
ただ昨今はやり過ぎでは?と思うものが多く感じたので書いてみたが、皆さまはどう思われます?若干バットマンが他のヒーローと共に出てる映画は気にはなりますがw

踊るマハラジャ その11

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
中島みゆき 「糸」より)

 

  タージマハルがある地アグラに着いた。インドで一番有名な建物であるタージマハル。ここでもガイドを添乗員にお願いすることにした。彼が言うには朝と夕方のタージマハルが色彩があってきれいらしい。なのでタージマハルの見学については今日のところは夕方にタージマハルが展望できるスポットで写真撮影だけとして、翌日実際に見学するのがいいと勧めてくるのでそれに従った。一先ずホテルにチェックインして少し休憩後、アグラのもう一つの名所アーグラ城塞、そしてタージマハルの原型とされる通称ベイビータージマハルと呼ばれるイティマード・ウッダウラ廟、そして日の入りの時間にタージマハルが眺めれる場所に行く。ホテルに着いてこの日一番のうれしい出来事が。なんとシャワーからお湯が出る。さすが観光地のホテルは違うw
  アーグラ城塞ムガール帝国時代にアクバルと言う皇帝が建てた城塞で、インド人に人気らしい(さっき調べ)。どの国も天下を取った人が好きなのは変わらない。イスラム様式の建物で、壁などの装飾は目を見張るものがある。やっぱりお金のかかったものはいいw 城塞の上の回廊からはタージマハルが見える。明日あそこに行くんだと思うとテンションが上がる。絵になるシルエット。奇抜なデザインなのに美しい稀有な存在。今いる城塞もいい建物だが、どうしても戦いという機能性が必要となるのか、宗教的な建物の美しさには敵わない。
  建物内の開放的な講堂みたいなところでマッタリ休憩してると、小さな男の子が寄ってきた。どうも僕と写真を一緒に撮りたいみたい。やっぱりこういう国民性なんだなとちょっと照れつつ、一緒に写真に入った。こういうほっこりする経験はどこの国でもする。どこの国も一般人は人がいい。しかしどうしたもんか世界のニュースではいがみ合いばかり。一部の悪い人間によってこういうことが引き起こされてるんだろうなと改めて感じる。一般人はそれにただただ巻き込まれてしまうという。こういうことが少しずつでも改善されて行く世の中は来るんだろうか。

  その後ベイビータージマハルを見学に行き、この日最後の予定であるタージマハル絶景ポイントに向かう。その道中道を歩いてると獣臭がする。振り向くとラクダが。初めて見るがデカイ。観光用なのだろう。金払えば乗れそうだが、臭いのでいい。ガイドが絶景ポイントに着いたという。と言ってもここはタージマハルのでっかい敷地を囲んでる柵の外。ここならタダ。タージマハルをバックに写真撮るには、いい距離感の穴場なので、ガイドは勧めたんだろうが微妙。そして日没にはまだ早く、全然夕焼けに染まった感じにもなってない…これまた微妙だなと思いつつ、待つのも面倒だったので、写真を撮ってもらいその場を後にした。

  ホテルに戻る途中、ガイドに缶ビールを買いたいとお願いすると、任せとけと言う。インドでは一般的には飲酒をしないせいか、どこで酒を売ってるの検討がつかない。店に寄ってもらい、軽いスナック菓子(カレー味)と共にビールをゲットするが、なんか闇取引してる感覚を覚えた。そしてホテルに戻って1人晩酌。なんか妙に酔っ払った。

  翌朝満を持して、タージマハルに向かう。タージマハルの敷地はかなり広い。敷地内に入ってもタージマハルがどこにあるかわからないくらい。なので人の進む方向について行く。とても日本人的に。
入り口を抜けると真正面にそびえ立つあのシルエット。とにかく真っ白けっけの世界。さすがに圧倒される。これは写真を撮ってもらいたいなと、目ぼしい人はいないかキョロキョロする。するとある白人から写真を撮ろうかと声をかけられる。でも直感的に断った方がいいと頭をよぎる。しかし旅の疲れからか判断が遅れる。そして向こうは百戦錬磨の強者なんだろう。流れるかのように僕からカメラを取り上げ、タージマハルのてっぺんをつまむようなポーズを僕にさせ、いくつかのバリエーションを撮ったところで、撮影終了。そして代金請求である。こんな感じで過去騙されたことがあっただけに防げたはずなのに、ムカつく!

  タージマハルの中に入る入り口はさすがに列ができている。そこでビニールを二つ渡される。そのビニールの口はゴムで閉まるようになってる。イスラムの施設は土足厳禁なので、靴の上からそれをつけろと。すごい違和感w  中はそれほど広くなく、暗いので外の煌びやかさに比べれば落ち着いた印象。でもよく見ると金はかかってる。中よりもメインの建屋の周りを歩いてる方が気持ちいい。猿もいてのんびりしてる。日光と違って観光客を襲う感じもないし。ムガル帝国の皇帝が若くして亡くなった愛する妻のために建てた霊廟。黒いバージョンの自分の霊廟も作ろうとしてたらしいが、さすがに金がかかるが故頓挫したとか。愛する人への想いが形として実現したものの中で、最も豪華なものの一つなんだろう。

  こうしてインド観光の全行程を終える。そして最後に待っていたのは、空港のあるデリーまでの移動。車での移動で5時間越えの超ロングドライブ。寡黙な運転手と会話のないまま、車内に流れるインド音楽と共に。途中田舎道でなにもないところを走ったり、迷ったそぶりを見せたり。不安になりながらも無事空港に着き、日本への帰路についた。

 

  あれから2年経つ。旅を終えた直後はあまりにもカオスで、人だらけで、物乞いは多く、食い物はカレーのみで、移動の辛さでと疲れてしまって、もうインドはいいかなぁなんて思っていた。しかし日が経つにつれ、またフツフツとあのカオスを懐かしく思う気持ちが湧いてくる。それは自分が天邪鬼だからかも知れない。でも他の国とは違う、独自の文化と神秘さに何か惹かれてしまう。またインドは平和を愛する国だと勝手に思い込んでいたが、実は争い事、特に宗教の違いによるものが多いことも目の当たりにしていた。空港、地下鉄、遺跡や博物館など、厳重な荷物検査とボディチェックがあり、過去に何かしらあったんだろうなぁとは感じた。実際に行って見ないとわからないことであった。
  ある日本の女性でインドでヨガを勉強した経験がある人が教えてくれたんだけど、鏡の法則と言われるものの考え方があって、この世界は自分自身を映す鏡のようなものだと言う。そしてインドは特にこの傾向が顕著だと。心の状態が悪いとインドでは酷い目に遭うらしい。僕も人はどこか根っこの部分で繋がっていて、良くも悪くも想いは伝わると思ってる。インドでは良いことも悪いこともあったけど、今思えばその時の僕の心の状態とリンクしていたのかな。なんか無い物ねだりかも知れないけど、人間臭さが色濃く残り、他を寄せ付けない固有の文化、人のエネルギーとなんか伝わってくる気怠さ、そして神様がいっぱいいる国。その奥深さに駆られて、またいつか行くんだろうなぁ、懲りずにw

踊るマハラジャ その10

きっと君は来ない…

 

  次の目的地タージマハルのあるアグラへの列車の出発は22時。観光を終えホテルのロビーで夜まで何をしようかと思案している今の時間は14時。ホテルの付近に観光名所はない。もとよりインド観光による疲労もピークに達していて、どこかに行きたいという気力もない。ホテルのロビーで時間を潰すことにした。それにしても長い時間。

フロントの若いお兄ちゃんが暇そうにしてる。時間帯的にもそうなんだろう。たわいもない会話をする。
「どれくらいここで働いてるの?」
「キョネンマデ ガクセイシテテ ココデハタラキハジメタノハ サイキンダヨ」
「へぇー、今いくつなの?」
「ジュウキュウ」
若い。見たからに若いとは感じてたが。年の割にしっかりと正装してキリッとしてる子。
「ニホンジンナンデショ?ボクノ ダイスキナ ドウガガアッテ、ニホンノ チイサナオンナノコガ オドッテルンダケド コレガカワイクテ オモシロインダ」
なんか自分の精神年齢に近い会話でホッとする。インドに来てからこういう会話に完全に飢えてた。
「知らない、どんなやつ?見せてよ」
お兄ちゃんが自分のスマホを出し、その動画を探している。ちなみにこのインド旅行は2年前の話だが、その時でもインドの若い子は普通にスマホ持ってた。さすがIT大国。
「コレコレ、ドウ?」
エッ…これ中国人だろ。小さな中国の女の子がキレッキレの踊りをしてる。
「この子中国人だよ」
「ソウナノォー」

「いつもはどんな音楽聴いてるの?」
「(ナントカ)ダヨ」
「(ナントカ)って誰?」
「エッ (ナントカ)シラナイノ?」
知るはずがない。そのミュージシャンの名前はさすがに忘れたが、話を聞いてるとインドで一番人気があるらしく、インド音楽ベースでダンス調の音楽とのこと。インド版エグザイル?w
「外国の音楽は聴かないの?」
「キカナイ、アナタハ ナニキクノ?」
洋楽聴かないなら、何知ってるんだろうか。
ビートルズ好きなんだけど、知ってる?」
「シラナイ」
若いししょうがないか。でもビートルズだぞ。しかもインドとも所縁もあるのに。
「インドの音楽しか聴かないんだね。」
「ソウダヨ インドノ オンガクハ サイコーダヨ」
この旅でインドの人は音楽と踊りが好きなことはすごく感じていた。そして何より自分たちの文化が大好きなことも。このお兄ちゃんからもインド愛をいっぱい感じた。

 

  しばらくしてフロントのお兄ちゃんは別の仕事でいなくなり、ひとりぼっち。暇なのでイヤホンしてスマホで動画を見てた。レニークラヴィッツのライブ。しばらくすると自分の背後に何か気配を感じる。後ろを振り向くとインド人のおっさんが3人、僕のスマホを覗き込んでる。ホテルの修繕をしてた人たちだ。知ってるの?と聞くと、知らないと言う。でも関心があるようだ。スマホからイヤホンを外し、スピーカーから音を出してあげる。彼らは体でリズム取りながら聴いてる。いいねぇなんて言いながら。音楽に国境はないなぁ。ただ彼らがずっと聴き入ってたのでそれに付き合ってたら体の姿勢的に少々疲れた…

  こんな感じで時間を潰しながら、やっと18時になった。ホテルのレストランが開く。メシでも食って時間を潰そうと中に入る。誰も客はいない。メニューを見ていると、インド料理が並ぶ。カレーしかないよなとページをめくるとチャイニーズという言葉に目がいく。マジー!疲れてたのと、この旅でカレーしか食べてなかったこともあり、インド旅行をしてるんだぞというポリシーも関係なく注文。しかしインドではほとんど外国料理屋を見かけなかった。都会ならマックもあるが(それでもカレーが絡む)、あの世界のどこででもよく見かける中華料理屋ですら、数が少ない。インド人は本当にカレー好き。中華食べて少し元気が出た。

 

  20時ごろ添乗員が迎えに来る。まだ出発には少し早いけど、夕食おごるから一緒に行かないかと誘いを受ける。メシ食ったばかりだと伝えたけど、まぁせっかくなんで少しだけならとOKした。添乗員、運転手、その連れの3人。みんな若い。そして彼らの行きつけの店に着く。もちろんカレー屋さんw

彼らは適当に注文し、その料理を少しもらうことにした。できる添乗員は僕のためにペットボトルの水を注文してくれた。店から出された水はやっぱり外国人は飲まない方がいいと。でも私、それまで結構店の水飲んでまして…

  インドのカレーは大まかに分けて、野菜カレーと肉カレーがある。宗教上の理由からだ。彼らは野菜カレーを食べてた。そして驚くことにスプーンを使ってカレーを食べてる。
「あれっ、スプーンで食べるの?」
「ウン、デモ オヤノマエデハ テデタベルケドネ ウルサインダヨ」
今時の若いモンってやつ。時代は変わる。日本人も随分変わってるし、面倒くさくない方向になるよね。
「メシはカレーしか食べないの?」
「ソウダヨ」
「中華とかは?」
「ハラガモタナイカラ スキジャナイ」
それにしても彼らは若いだけあってよく食べる。

 

  メシを食い終わり駅へと向かおうとすると、添乗員は今から別の仕事でデリーに向かうので、駅までは残りの2人が連れて行くと言う。だから1人増員してたんだ。しっかりしてるし、ちゃっかりもしてる。礼を言って添乗員と別れ、駅に向けて出発する。
車中の会話で彼らが学生であること、そして将来について迷っているものの、希望のある会話をしながら駅に着く。
列車の状況を見に行ってくれ、予想通り遅れていていつ出発なのかまだわからないとのこと。やっぱりかと思いつつ、車の中で待つこととなった。が、彼らはなぜか車のエンジンを切ってしまう。冷房の切られた車内は走行中と打って変わって猛烈に暑い。窓を開けたが大して変わらない。駐車場の他の車を見ても誰もエンジンをかけてない。これは駐車場ではエンジンをかけたまま待つのは禁止なのか?それともただ単にガソリンがもったいないからなのか。未だに謎…
  2時間くらい経ったろうか。彼らもウトウトしてる。コントじゃないんだからしっかり起きてろよ。これは情報仕入れとかないと列車に乗れないと思い、駅に確認をしにいくが、時刻表見てもさっぱり状況がわからない。あきらめて車内に戻った。そして彼らが完全に寝ないように物音をたてたり、車のドアを開け閉めしたりして対策をとった。
しばらくして寝てた彼が列車を確認をしに行く。やっと出発できると教えてくれる。
こうして待ちっぱなしの一日がやっと終わった。本当に疲れた…

踊るマハラジャ その9

エンダァ〜イア〜 I will always love you〜ウーゥウウゥ〜…
(by ホイットニーヒューストン)

 

  ボディーガード。まさにそんな風体の男。今からガンジス川の地ヴァラナシの街を僕の行きたいところに連れて行ってくれるガイドだ。中年で中肉中背、しかし格闘技ができそうな体格、例えるなら映画「踊るマハラジャ」の主人公のよう。でもその主人公とは違い全く愛嬌がなく、質実剛健といった感じ。デリーでお願いした優しいガイドとは真逆な雰囲気。そしてその第一印象は実際裏切られることはなかった…

  このガイドは基本オートリクシャーの運転手。オートリクシャーとは自転車タクシーのオートバイ版だ。このガイドの運転するオートリクシャーに乗り再度ガンジス川に向かう。この旅でもう3回目。しかし前の2回は川の付近を見ただけなので、今回は街の様子や人となりを体験するいいチャンス。

  このガイドのおっさん、バイクに乗ると豹変する。こっちは急いでもないのにやたら飛ばすは、他の遅いドライバーにガンつけるは。まさにこち亀で出てくる本田さんのよう。こっちはリクシャーから振り落とされないように必至にシートしがみつく。インドの道路は渋滞が多く、排ガスと土埃で息苦しい。で、このガイドがこの渋滞をそのまま大人しく待つわけがなく、ちょっと他のリクシャーが車間を開けると、その隙間に食い込んで行く。車幅感覚も神業。すごい集中力とテクニック。それで他の運転手から文句言われても現地語で「テメェ、なんか文句あんのか、おら!」みたいなことを言ってる。なんとなくだけど… とにかく目が怖い。相手も怯んでるし。そして裏道を見つけては入り込んで行く。「ここ通っちゃう?」というところも関係なく。プロだ。客の行きたいところに一分一秒でも早く着く。また道具というものは極限までその性能を引き出して使いこなしてあげることが肝要。このガイドはこのバイクの性能を100%以上引き出してた。道具をコレクションのようにいたわって扱うのは愚の骨頂だよな、なんて事をこのガイドから学んだ気がする。楽器をやってる人間からしたら、まだまだ自分は使いこなしてないなぁと。

  ガンジス川に到着する。今回は車ではなくバイクなので川沿いの細い路地をガンガン入り込んで行く。ある建物の入り口付近でリクシャーが止まる。こっちだと言うのでガイドについて、その建物の中を通っている通路を進む。その先にガンジス川が見えた。外に出るとバルコニーみたいな広場になっており、川に降りる階段が続いている。
「サァ、タノシンデコイ」
下まで行ってとりあえず川を眺める。そこには人がちらほらといて全身沐浴してる人も目の前にいる。
「どうしよう、やっぱり浸かるのはいいかなぁ」
なんて思っていると
「オマエハ、ナカニハイラナイノカ」
なんて聞いてくる。
「ニモツモッテテヤルカラ、イッテコイヨ」
ガイドが背中を押す。
「うっ、足だけでも浸かろうかな。足からバイ菌はいらないかなぁ?でもまぁせっかくだし」
僕はせっかくと言う言葉に弱い。覚悟を決め荷物をガイドに預け靴下脱いでいざ着水。いたって普通、ただ生ぬるいだけ。そんな感想。自分もぬるいなぁと思いつつ。
「ドウダッタ?」
「よかったよ」
それ以上の言葉は出てこなかった。しかし自分は川に何を期待してたんだか…

  ここで初めてガイドと会話をする。大体中年のインド人と会話すると、最初に家庭を持ってるかと聞かれる。その時も最初の彼からの質問はそれだった。いや結婚はまだしてないと答えると、なんでだよ、早く家庭を持たないとダメだよと説教される。家族はすごくいいもんだと、家族を養うために俺は一生懸命やってると。見てみろと、財布の中から今までガイドした日本人の名刺を見せてくれる。どれも一流の会社ばかり。俺はいろんな人を乗せてガイドしてるんだと、誇らしげに語っていた。なんかガイドのいい人柄がよく伝わってくる会話だった。

 

「ツギハドウスル? カイモノカ?」
後からいつもそう思うんだが、買い物に連れてってもらうと、買わざるおえない状況になる。今回も結局自分がそれを見たいと言ったとはいえ、連れて行ってもらったところそれぞれで買う羽目になった。店から何かしらあるんだろう、ガイドもテンション高かったし。特にすごかったのがシルク屋。店に着いた途端従業員が工場見学に連れていくからと、バイクの後ろに乗れと言う。このバイク日本でよくバイカーが前かがみで乗ってる、女の子が後ろに乗るなら運転手に抱きつくタイプのやつ。えっこんなのに乗るの?しかもノーヘル。僕は運転手にしっかりと抱きついて出発した。バイクは颯爽と路地の細い道を進む。正直怖い。民家が立ち並ぶ一角の小さな工場で止まる。中についてこいと言うので入る。中では作業員が仕事をしてる。特に僕が入ってきても気にしてない様子、まぁいつものことという感じか。工場の二階に上がり、シルクの染付作業を見せてくれた。ちょっと演技ぽさを感じた。

  バイクのお兄さんと店に戻り、店主が商品を見てくれと、店に入れられる。店にはおびただしい数のシルク商品が並ぶ。店主が入り口のドアを閉める。完全な密閉空間となり、店主と僕の2人きりだ。店主は商品をいろいろ勧めてくるが、どれもとにかく高い。デリーで買ったらもっと高いぞと言うのが、売り文句。僕が渋ってるとどれを買うんだという雰囲気を出してくる。確かにシルクが見たいとは言ったけど、買うつもりはなかった。好奇心だけ。でも何か買わないとこの密閉空間から出してくれそうにない。結局欲しくもないシルクのスカーフを買った。僕のママンへのお土産として…

  こうして買い物も済ませたのでホテルに戻ることにした。ガイドはもう行きたいところはないのか?なんて聞いてくるが、他に買い物行ってもパターン的にお金使わされそうなのでやめた。別にこのガイドが悪いわけでない。彼は自分の仕事をしてるだけだ。

  ホテルへの帰り道、道を歩いてた子供が何やら運転しているガイドに話しかける。すると子供はリクシャーの運転席に飛び乗ってきて、ガイドの横にちょこんと座る。そして数百メートル進んで子供は降りて行った。なんか外国らしい微笑ましい光景。

  この日の予定としては、夜にタージマハルがある地への電車移動となる。しかしここでの現地観光の時間を早く切り上げてしまったので、ホテルに着いたはいいがまだ昼を過ぎたぐらいの時間。これから夜までどう時間を潰そうかとかと…