作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

踊るマハラジャ その1

  前回外国の話と言うより結局は中華料理屋の話になってしまったが、せっかく外国の話をしたのでついでというか外せないというか、僕の外国旅行の経験の中で一番ハードルが高かった国、インドについて書こうと思う。


  女子はヨガの影響だったり、民族衣装や食や美容に興味があって行く人はいるけど、男子はなかなかインドに行きたいという人はいない。行きたいと思う人は何か心に秘めた理由を持っているはずだ。あそこに行けば自分の中の何かが変わるんじゃないかという幻想。じゃなければカレーマニアだろう。


  じゃ自分はなんでって話だけど、インド幻想はもちろんw でもそれよりも小さな頃見たインドの女性の神秘さにやられてしまったからだ。外人という存在を認識したのもその時である。小さい頃の記憶なので曖昧だが何か世界をテーマにした催し物だったはず。インド象もいたような笑 その女性はサリーを身にまとい、おでこに何か赤い点がついてて、そして目が神秘的でその目に吸い込まれそうになった。それらが強烈に僕の記憶に残っていて、いつかはインドに行きたいという想いがずっと頭の中にあった。なんか昔から目に吸い込まれそうな女性が好きでして…


  インド旅行に行くにあたり、首都であるデリー、かの有名なタージマハル、そしてインド幻想を抱いてる者にとっては外せないガンジス川への礼拝。これら全てを包含しているツアーを探す。まぁ普通にあるw ホント自分の考えることはつくづく一般的だなぁと。便利な時代だ。ツアーの日程も予算も問題なかったので、旅行会社に直接行って、ツアー内容の詳細を聞きに行くことにした。それは旅行出発の1週間前。相変わらずギリギリでしか動けない…ギリギリになってからの集中力には自信ある。


  旅行会社では若いお兄ちゃんが対応してくれた。ツアー行程の話を説明してもらう。ツアーと言っても一人旅なので、日本でよくあるバスツアーみたいにずっと添乗員が付き添ってくれるものではなく、基本行く先々毎に添乗員が待っていてホテルまで送迎してくれるリレースタイルだ。そして現地では自由行動となりガイドが欲しければ別料金でお願いすることとなる。


  「デリー到着は夜なので、1日目はそのままホテルで宿泊、2日目はデリー終日自由行動。3日目は昼ごろまで自由行動。夕方ヴァラナシ行きの列車に乗りそのまま車中泊…」


  うっ列車。あの噂に聞く。しかも車中泊。さすがはインド、デカイから当然と言えば当然か。ここで僕の質問モードのスイッチが入る。


  「インドの列車ってどんな感じなんですか?」


  「今回のツアーですと列車の等級は3Aなのでエアコン完備で、1シート3名の向かい合せの席になります。寝るときは背もたれの方に三段ベッドがついてるのでそれを引き出して寝るという形になります。」

 

  夏なのでエアコンは絶対要る。


  「上の等級とかにもできるんですか?」


  「はい、できます。一つ上の等級の2Aだと2人がけシートで二段ベッドですね」


  「普通みなさん、どの等級選ばれてます?」


  「大体この3Aですよ。僕も乗ったことありますけど、全然大丈夫ですよ。」


  大丈夫。大丈夫と言われたからには、じゃそれでいいですと答えてしまうもんである。ただ大丈夫という言葉は割と個人差あるよなぁと思いつつ。話聞いてると、このお兄さんは旅行好きで色々と秘境ぽい国行ってるようなので余計。


  「インドの列車ってよく時間に遅れるって言うじゃないですか?現地で添乗員と会えなかったりとかないです?」


  「大丈夫です。現地の添乗員は列車の遅延状況を把握してますから。」


  大丈夫。不安だなぁ…


  「列車の治安は?物盗られたりしない?」


  「よっぽど大丈夫と思いますけど、ご心配ならチェーンロック持ってったほうがいいですよ。」


  うーん、大丈夫かなぁ?

 

  「インドの入国にビザがいるんですよ。」


  「えっ、日にちないけど間に合うの?」


  「はい大丈夫です、ギリギリなんとかなります。」


  大丈夫、さすがである。


  こんな感じで行くことに憧れや不安がある割には、思いつきでギリギリになって決めてしまった旅行。次回現地でのお話を書きます。

チャイナタウン

  僕の今の職場の周りは異国情緒漂うエリアで、あらゆる国の料理屋が点在している。イタリア、フランス、ドイツ、アメリカなどまぁどこにでもあるものから、韓国、モンゴル、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、インド、キューバ、ブラジル、ペルー、ナゴヤ国(これは違うか笑)、そして中国。このエリアの中華料理屋の数は突出して多い。これらの中華料理屋の中には、中国人をメインターゲットにしている店がある。そこでは普通の中華料理屋では食べられないディープな料理(豚の頭そのままの料理や臭豆腐など)も食べる事ができ、言葉もあまり通じないので、ちょっとした現地体験ができる笑

  このディープな店の一つにランチを食べようとして初めて入ったのだが、どうもこの店ランチの概念がないみたいで、ランチメニューがない。この時は「ランチないの?」と店員に聞いたら、ご飯を無料で付けてくれた。しかし次行った時、前と違う店員だったので念のため同じように聞いたら、有料だと言われた。そんな気がしたんだよね笑  こんな感じも異国っぽい。

  僕は過去多くはないが旅行で色々な国に行ってる。その国に滞在している間は、日頃食べられない食べ物をなるべく食すようにしてるし、現地のスーパーや市場は必ず足を運んでる。その国の食文化を理解したかったら市場が一番よい。その中でもどうしてもインパクトを受けてしまうのはアジアの市場。足を踏み入れた瞬間のムンムンとした熱気と匂い。そして肉売り場の見渡す限りの、肉、肉、肉。豚の顔の肉と目が合う。肉の塊が宙にぶら下がってる。結構グロテスクなんである種 、遊園地のお化け屋敷より面白い笑  料理屋は料理屋で日本みたいに店員の愛想がよくないので、料理についてよく聞くこともできず、とりあえず頼むんだが何が出てくるか不安。でもまぁ不味かったことはない(イギリス除く笑)。同じ人間なんだから、美味い不味いと思うものは同じである。チップによる店員の態度の変化もあからさまでおもろい。現地の料理と、日本人というか都会人がちょっと忘れかけてる濃厚な人間臭さを体験できることは、海外旅行の醍醐味だと思う。日本の良さと悪さにも気付き考えさせられる。


  最近、ランチに中華を食べた。この店は中国人経営の店だが日本人ターゲットの普通の店。食べ終わり会計を済ませると、餃子無料券をくれた。太っ腹な店だなと思い次また行こうとその券を財布にしまった。数日後忘れかけてたその券が財布から見えたので、あぁそろそろ行かなきゃと券を引っ張り出した。ふと券の裏に目を向けると小さく手書きで何か書いてある。

  「13時以降から使えます」  

  うーん、12時から昼食の時間の僕は危うくお金を取られるところでした…

 

パラダイス銀河

  「まぁ〜ここのコーヒーうんみゃーわ、極楽だわ」

  ある日の喫茶店でのおばあちゃんの一言。ちなみに東海地方以外の方に説明しときますが、うんみゃーは美味いの意味です、念のため笑 この極楽という言葉を聞いて、なんかいいなと思ってしまった。なかなか今の自分の心の持ちでは、コーヒー一杯飲んだところで極楽という言葉が出ることはない。いや極楽と思ったことが最近あるだろうか。なのにこのおばあちゃんは心の底から極楽と言ってた、できれば生の言葉を聞かせてあげたいくらい。特段スペシャルなコーヒーでなく、普通の喫茶店のコーヒーである。この言葉は店の人が聞いても気持ちが良くなるだろう。

  あっこれと同じことを文化的にしてるところありますよね、そう大阪。県民の特性を扱ってる番組で、ある実験をやってたのを見た。それは大阪の人は外食での支払い時に「美味しかったよ〜、また来るわ!」っていうのが一種の挨拶になってるが、仮に料理が不味かった場合でも言うのかという実験。結果として不味くても「美味しかったよ〜」って挨拶してた笑 さすが大阪人、人に不快な思いをさせないなぁと微笑ましく見てた。人の欠点を笑いにしてしまう文化な面があるけど、逆に欠点に愛情を持って接する文化でもあるなと改めて感じた。

  大阪の話はちょっと特殊だとしても、ほんの小さな幸せを感じて、口に出してしまうというのは素敵。ただそれができてる人は少ないようにも思う。どちらかというと文句というか批評を言ってる人の方が多い。特に男。ここは美味いやら不味いやら。自分もそうですが…

  「わぁ〜、か〜わ〜い〜い〜!」ってやつ。女性に特有の。これが今回のおばあちゃんでいう極楽って言葉だろう。男の口からはなかなか出ない言葉。女性は共感の生き物だというけど、正にその通り。この言葉は自分だけでなく人を幸せにする。インスタが女子に受けてるのは最初全然理由がわからなかったけど、よく考えてみると当然なんだろうな。

  文化を本当の意味で支えているのは昔から女性。女性達が文化を育ててる。ビートルズもそうだし、ジャニーズもそう。歌舞伎など伝統芸能と呼ばれるものも、今でいうアイドルだろうし。芸術、音楽、ファッション、料理など女性の共感がなければここまで発展してないだろう。自分のバンドでライブをしてても、リズムに乗って素直に音を聴いてくれてるのはいつも女性だけ。男はなんか音を分析してるかのような、直立不動な聴き方である笑  やってる側からしても音楽に乗ってくれてる方が嬉しいし自信になる。

  どんな日常的なことも味わい尽くす、良いことに気付ける、またほんの些細なことに喜べる。それは心に余裕がないとできないし包容力もあるんだろう。忙しくなるとこういうことを味わえる心がなくなってしまう。せっかくこの世に生まれてきたら、目先のことに囚われてセカセカしてる人生より、日常の些細な出来事をゆっくりと味わえる人生でいたいな。

スターティングオーバー

  バンドの再結成やメンバーの復帰、これほどファンにとって喜ばしいことはない。個人的にはレッチリのジョンの復帰(後に再度脱退するんだけど、その時は友好的な別れだった)と、ストーンローゼスの再結成はホント感激して涙が出た。ビートルズだってもしジョンが生きていたら再結成してたかも知れない。ジョンの生前のインタビューからも、再結成に前向きな発言もあるし、後に他のメンバーでアンソロジーを作ったことからも、可能性は高かったんじゃないか。

  それに比べて、頑なまでに再結成を拒むバンドがある。特に日本では多い気がする。外人のバンドはどこかビジネスライクというか、メンバーが死んでなければ案外再結成するんだけどなぜか日本ではしない、一世を風靡した昔の伝説的なバンドほど。昔から辿ってもキャロル、ボーイ、チェッカーズなど。共通点があるとすればボーカルが突き抜けてカリスマ性が強い。

  カリスマ性とは何かと考えたとき、強烈な頑固さだと思う。人が憧れたり平伏せてしまうくらいの。で頑固って何か?心理学的には心の痛みから自分を守るために作られた鎧らしい。つまり頑固な人ほど傷ついてきているということ。人の心は見た目とは逆だから。感受性も強いだろうから聞いてる人の心に届くいい曲も書けるんだろう。

  バンドが友好的でなく解散するからには、余程許せないことがあったに違いない。金が絡むなら特に。外人と違って日本人は金に対して穢れみたいなのもあるし。こういうことがあると頑固な人ほど傷つくだろうし、強い態度に出て収拾が収まらなくなる。

  僕も頑固で笑 ホント人のやってることが許せなかった。バンドでもメンバーの勝手なプレーや音楽の方向性の違いなど、何で?って感じだった。だから選り好みをしてまともにバンドも組めない時期もあった。当然人にされた嫌なことも許せないし、人を見切ってしまう。気に入らないと顔にすぐ出る。

  ある時許せないということが自分にとって良くないという気付きがあった出来事があった。それは学生時代の話で、ベタだけどいいなと思ってた女の子と友達が付き合ってることを知ったときだ。今なら早い者勝ちだからしょうがないなぁと思える話だけど、当時はホント許せなかった。自分が何も努力してないことを棚に上げて。正に若気の至り笑 そんな悶々としてる時に、コンビニの本棚でマーフィーの法則という本を見つけた。簡素な内容だったので立ち読みしてたら、許しに関しての言葉があった。どんなことだろうと許せと、心の底から許せと。それが結局は自分のためになると。その時はホント衝撃的な言葉だった。許さなきゃいけないの?って。

  今のところこの全て許せという言葉は正解だと思ってる。許すってことは、結局自分のためになる。許せない気持ちはずっと心の重しになるし、他の人を見る目にも影響が出る。頑固は孤立する。カリスマ性がある人は同時に強烈な孤独感も醸し出してる。許せないという気持ちに固執しても、客観的にはいいことが余りあるように思えない。

  じゃ今は全て許せてるかって?うーん難しいなぁ、許すって。でも昔に比べれば、許すことを多少覚えたので、人間関係はマシになったかな。なんか許すと先に希望があるというか。それがまた新たな生きる上での刺激になる。それでも許せない出来事にはレベルがあるので、全て許せるかと問われれば、正直わからないが、一応の解決が出たのであれば、許す方向で考えたいと思ってる。

  ファンが再結成を望むバンドは先にあげた大御所以外にもたくさんある。そういうバンドが再結成されると、それに関わる人みんなが幸せになれるように思うんだけどね、難しいかなぁ僕の好きなバンド様、お願いします。

小さいあき見つけた

  飽きるもの。ファーストコンタクトでインパクトがあるものほど飽きやすい?美人は3日で飽きるなんて言う。そんなことはない笑 確かに美人で面白い人は少ないけど、お金さえかからなければ良いもんです。まぁ基本かかりますが。言うことも聞いてくれないし。だから楽しい、きっと…美味しいものも大好き。素材の良いものは飽きない。

  でも飽きるという感覚はどうしても出てくる。どんな場合でか。それは濃い〜ものに接したとき。濃い〜ものはどうも繰り返し味わうと飽きる。お笑いの一発屋と呼ばれてる人たちなんて、まさにそんな感じがする。まぁ一発芸という濃さからこそインパクトがあって売れる訳だけど、その代償もデカイ。次を生み出すのは至難の技である。第一線をキープするためには人を惹きつける何かをずっと続けていく必要があるし、変化もいる。

  じゃあ飽きられないようにするにはどうするか。なるほどねと思わせるようなものを提供する必要があるように思う。人はなるほどと思うものには一目置く。このなるほどねと思わせる部分が玄人的もしくは職人的な部分。歳を重ねるほど職人さんに惹かれるのはそういうことなんだろう。自分にないものには憧れる。知ったかぶりでいたい。でもそういう人は職人さんには嫌われるんだけどね…

  とは言え、最初はインパクトがないと気にもしてもらえない。入り口は大事。その後なるほどねと思わせる何かを習得してアピールしていかないとなかなかその世界では食っていけない。それは技なのか個性なのか。いずれにせよ誰も近づけないくらいの高みまで持っていかないといけない。

  今回なぜこんな話を書いたのかというと、先週ラーメン屋でラーメン食ってて感激から落胆までを一気に味わってしまったから。すごく美味しいラーメンだったから最初は夢中になって食べてたのに、途中からくどくなっちゃって、スープ大好き人間の自分でさえスープを飲み干すことができなかった。そこで何故だろうと。味覚は人それぞれとは言え、やっぱり最後まで美味しくいただける方がバランスとしてはいいのかなと。それはどんなことにも当てはまる。和牛もA5の霜降りの肉よりも赤みの多い肉の方が好きという人が多いと聞く。音楽で言うならば、ウケ狙いの派手な曲ばかりでは飽きられる。しっとりした曲や難解な曲も必要である。

  人の心は移ろう。クドいのは嫌われる、特に女性には。最初は面白いなんて言われてても、絶対飽きられる。そして一度嫌われると修復は難しい。怖い怖い…そんな事を考えながら過ごした先週のラーメン屋でのランチの一コマからでした。

スカーティッシュ

  僕のティッシュの消費量はハンパない。常人の3倍は固いだろう。すぐにゴミ箱がティッシュで一杯になる。じゃ何にそんなに使ってるのか?それはあまり言いたくない、男の事情もあるし笑 それだけではなく、何かアクションごとにティッシュに手が伸びてる。まぁここで言える分だけ書くと、

食事の途中に都度口を拭く。手になぜか食べ物のツユや油が付くので拭く。よく食べ散らかすのでテーブル拭く。家の醤油差しが壊れてて容器から染み出してるのが手に付くから拭く。コップの水滴がよく床に落ちるので拭く。コップの水を持って歩くとほぼ床に水をこぼすので拭く。鼻をかむ。目くそ鼻くそを取る。痰を出す。脂性なので顔を拭く…

  少し振り返ってみただけでも自分でもびっくりするくらい事あるごとにティッシュに手が伸びてる。無意識なだけに恐ろしい。しかしこう改めて見てみるとティッシュなしでは自分の生活が成り立たない。一度ティッシュが切れた状態で過ごした事があるが、とにかく拭けないとストレスが溜まる。これはある種現代病なのか?依存症なのか?

  他人を観察してても、そんなにティッシュを消費してる様子は見当たらない。職場でもティッシュの箱が机にない人の方が多数派である。みんなティッシュなしでどうやって対処してるのだろうか?まさか手や服で拭いてる訳でもないだろうし?ちなみに自分はハンカチを持たない。全てティッシュで対処する。

  またティッシュを大量消費するもう一つの原因として、一枚のティッシュを全て使い尽くしていない点もある。平均しても一枚のティッシュの内4分の1のスペースも使わずに捨ててしまう。感のいい人ならお気づきだろうが大の時のティッシュの使い方も同様である。トイレにティッシュを詰まらせて、逆流し溢れ出てきたこともある汗  とにかく必要以上にティッシュを消費してしまう。

  このティッシュ大量消費問題の要因はなんなんだろう。今回改めて考えてみると心の中の問題のような気がしてきた。少なからず潔癖な部分があるからだろうか。ただテレビでよく見る潔癖芸能人みたいなことは全然ない。別に机にこぼした食べ物も食べるし、山では湧水も飲む。整理整頓もできないし、掃除もそれほどしない。でもなんか自分が汚いと感じるものに対して、ティッシュのあの薄い一枚だけでも手(自分)とそのものを隔てているという感覚、エヴァでいうところのATフィールドのようなバリアの役割を感じてるのかも、いやどうもそう思ってるみたい。更にそれでもって拭くことにより汚いものを自分から排除すると。

  癖とは、その人の中の隠れてる部分が表出しているものなのかも知れない。そしてその隠れている部分を補完する行為なのかも知れない。自分の場合、ティッシュ大量消費は目の前から、都合の悪いものを排除したい心の表れなのかな?占い師みたいな人なら簡単に自分の人間性はバレそうです、変なとこ素直なので笑

 

フール オン ザ ヒル

  なんじゃこりゃ

  松田優作の有名なセリフだけど、思わず口から出てしまった。先週末雨がシトシト降る中、趣味の山登りをしていたら、途中左手が血だらけになってるのが目に入ったからだ。しかしこんなに出血するほどの何かがあったとは思えず、痛みもない。なかなか血も止まらなかったが大したことないだろうと、また登り始めると今度はズボンの膝あたりに血が滲んでるのに気付く。何だろうと、ズボンを捲り上げると、

  なんじゃこりゃ(二回目)

  ブクブクに肥ったヒルが二匹、靴下の上から血を吸ってる。しかもこの靴下、登山用なので相当分厚いにもかかわらず、めり込むように吸ってる。さらに血が滲んでた膝の方まで捲るとやはり1匹いた。そういえば、登る前に小さなアリぐらいのヒルシャクトリムシのように全身を使ってTシャツの上を登ってるのを見つけたので、思いっきり指で弾いていた。そして僕の足で血を吸ってたヒルはナメクジの大きさ。アリがナメクジになるというのは、人がウルトラマンになるレベルじゃないか。

  結局手と足に4箇所ヒルの被害にあった。血が止まらず、衣服も血だらけである。登山が終わった後、血だらけのままドラッグストアに駆け込んで、処置するためのティッシュと絆創膏を買った。どう見えてたのかな?自分… 結局半日血が止まらなかった。

  僕はヒルについて何も知らなかった。今回血を吸われたヒルは山ヒルと言われる部類。湿度の高い環境で活発になり今回の登山みたいに雨上がりは特に襲われることが多いとのこと。またヒルは噛む瞬間に麻酔のような液体を注入するらしく、噛まれたことに気付かない。更に酷いのは、血を固まらせない液体まで注入するので出血が止まらない。そしてヒルは強引に引き剥がすと跡が残る。

  ヒルを人間界に例えると何になるのだろう。全く気付かぬままに財布をスられ、更にその財布に入ってたクレジットカードを使われてしまったような感覚。そして心に傷が残る。なんて嫌な奴だ笑

  登山始めて5年以上経つが、初めての経験だった。ヒルなんて若干想像上の生物のように思ってた。人によってはヒルに襲われてしまったが為に登山辞めてしまった人もいるんじゃないだろうか。ある意味クマよりも厄介かも。

  しかし世の中知らないことがまだまだたくさんあるんだなぁ。割と色々なことに手を出したり、情報集めたりしているんだけど。また最近よく思うのは自分で正しいと思ってたことが、実はそうでもないなぁと気付くことがある。この事はまた別の機会に書きたいなぁと考えています。