作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

枕なしで電気羊の夢を見れるか

これまでどれだけの枕を買って試してきたことだろう。低反発枕、高反発枕、医者考案枕、高級ホテルのような枕…
未だに運命的な出会いはない。
買った時は待ち人が来たように感じた枕でも、一週間後には相性の不一致でお別れしたものもある。
こういう人は結構いるという話よく聞く。

なかなかこういううまくいかない負のループに入ってしまうと、視野も狭くなりお金をかけなければいいものに出会えないと考えがちになる。逆の発想を考える余裕もない。人は物事が上手くいかないと自ら選択肢を狭めていくものだなぁ。

逆の発想、そう枕無しで寝るということ。常識に囚われていると、どうしても枕は寝るときにはなくてはならないものと考えてしまうけど、枕無しならどうなるか。足すんじゃなくて、引くという発想。
こんな簡単なことを今まで試したことがなかった。

きっかけは今通っている病院の若い綺麗な女医からの勧めがあったから。人が何か変わろうとするきっかけは大体こんなもんである笑

確かに枕があると、頭の置き方次第で首の形状が変わってくる。前に屈曲するか、後ろか。女医が言うにはこの屈曲の状態でいることが、血管や神経を圧迫し、肩こりや首痛の原因となるとのこと。
今回は若い綺麗な女医さんにすごく素直に従った笑

実際枕がないと、首が屈曲することがない。首の力がいい感じに抜けている。ただし違和感ありまくり。だって生まれてこの方ずっと枕を使って寝てたのだから。
試して1週間経つが、体の不調はないので悪くないかもというのが実感である。

しかし問題もある。寝返りが基本出来ないということ。また横向きになると、首が横に曲がってえらいことになる。しかしこれはうつ伏せ気味目になれば大丈夫だと、枕を使わないという知り合いの女の子から聞いた。皆んな色々工夫してます。

年々柔軟性がなくなり硬くなっていく。歪めた状態でいるとそれを一生背負っていくことになる。
なるべく歪めずまっすぐでいたいものです。体だけでなく心も。いい夢見られますように。

 

フィクサーのつぶやき

みなさんは陰謀説お好きですか?
テレビならやりすぎコージー都市伝説、ラジオならインターエフエムのデイブフロムショーとか(名古屋では聴けなくなっちゃったけど…何かの隠謀?笑)。
嘘くさいと思いつつ、話し手のうまさもあって、単純な僕はいつも引き込まれてしまう。なんか刑事コロンボや、古畑任三郎のストーリーと同じで、先にフィクサーの存在を明かして、そのフィクサーがどのように関わっているか根拠を述べていくスタイル。面白く感じる要素満載なんです。

なんで今回こんな話してるかというと、この前温泉浸かってたら、見知らぬおじいさんが、話し相手とこの頃の不穏な世界情勢の話をしているのを見かけて。その時フィクサーという言葉が出てきたんです。どうもフィクサーベースで話をしていて、相手に「こんなこと知らないでしょ?、テレビでも絶対報道されないから」なんて具合で。話し相手の人はそのうち困惑してその場を去って行きます。するとそのおじいさんは僕の方に近づいてきて話の続きをし始めたんです。そうこのおじいさんは近くの人に自分の持論を一方的に話してただけなんです。突然とばっちりを食った僕は、黙って頷くしかできず、おじいさんが去るのを待ちました…

陰謀説は聞いてて面白い部分はあるけど、反面一方的に押し付けられると、これほど困る話題もないですね。一方的な話自体がそもそもですが。

陰謀説が好きな人は空想とかドラマとか架空のお話しが好きなのかな?決して現実主義者の人が陰謀論を支持してるとは思えないので。本や映画のように娯楽の要素で楽しむ程度ならいいけど、この世の中のわからないことに対して、何か巨大な力を持つもののせいにして、妄信的に納得してしまうのはちょっと行きすぎかなぁと。神についても似たようなことあるし。

謎解きは確かに楽しいけど、答えを決めつけて方程式を解くのは、今の世の中の風潮見てても被害妄想を助長するようで、気を付けたいなぁ。今も昔もフィクサーみたいに所在が明らかでないものだけでなく、姿がハッキリしているものに対しての偏見も多いし。多分自分の中の正しさから答えを決めつけてしまうんだろう。しかし正しさにも多様性がある故、衝突する事も出てくる。正しさを押しつける世の中にはならないことを願います。

 

オールドマン

いきつけの喫茶店でブログの手直ししてる時、隣の席に男の老人三人が座った。どうも全員70歳オーバーで、一人は会話から80歳を超えてるようだ。その1番のお年寄りの両耳には補聴器がセットされている。勘のいい人ならもうお分りだろうが、補聴器つけてる人は喋り声が大きいのである。ブログ作業に集中できない状況となってしまった。こんなことで集中力がなくなるなんて、まだまだ修行が足りない。
耳が聞こえにくい以上声が大きいのはしょうがないことなので、その人たちの会話を聞くことにした。諸先輩達が何を喋っているのか。

補聴器:
「遊びに行くことは大事だよ。
この前〜行ってきた。」

相手:
「俺最近外出してない。」

補聴器:
「一人でいてはいけないよ。
今度老人ホーム見学しに行く?
女の人がいるぞ、若くはないけど笑
おしゃれでいることも大事だよ。
会話もできるし、ヨガとか体操できるし。」

会話の内容から、補聴器おじいさんが一番エンジョイしてる感じ。大きな声で、老人ホームの勧誘してるし、旅行の自慢話してる。体の不自由さなんて全く気にしてない。

元気のある人はどんな状況に置かれても、どんな場所だろうと、楽しむんだろうな。
それに比べて元気のない人、ネガティヴな人はどんなに環境が恵まれててもどこか孤独な生活になるんだろう。人が離れていく、運も同じく。

今の自分がどうか。あの補聴器のおじいさんみたいに元気でエンジョイしてるかというと、そうでもないな。なんかケチつけたりして…もっと素直でいたら楽しめることもあるんだろうに。

これはダメ、あれはダメなんて言わず、今ある環境の中で楽しめる能力をつけることは、今後年を取って生きていく上で、大切なことのように思う。誰かが言ってた「料理を作るときは、他人の冷蔵庫でなく自分の冷蔵庫にある食材で作る」という言葉を思い出した。無い物ねだりはダメだと。

ニールヤングのようにそんな曲を書いてみるか?

ノイズが僕を苦しめる

ホントに羨ましいなと思うのが、どこでもすぐに寝れる人。1分も経たない内に寝れる人。女の子ならドライブデートでもすぐ寝ちゃう子の方が楽。Hの後とかも笑
相手が起きてなくちゃ許さない人の方が多数派なのかな?

すぐ寝れる人が羨ましいと思う反面、迷惑な人が多いのも事実。いびきである。すぐ寝れる人ほどいびきをかく人が多い気がする、被害者目線だけど笑。あのノイズが気になって眠れない。ノイズも十人十色と言うよりは、レベルと表現した方がいいのか。レベルマックスの人と遭遇した時には、どんな状況でも寝れると豪語してる人でも寝ることができないみたい笑

自分の経験上、レベルマックス認定の人は二人。
一人は山小屋で遭遇し、人3人分ぐらいの距離(山小屋は基本隣の人とくっついて寝るぐらい狭い)があったが、そのマックスの人の隣で寝てた人はかわいそうに、枕を足の方に移動させて、反対になって寝てた。

もう一人はインド旅行での寝台車での遭遇。インドの電車は日本のそれより、騒音が大きいのだが、マックスノイズはそんなものはものともしない。まだそこに居合わせた人達が、夕食後の歓談をしてるような時間帯であるのに、轟音である。途中ゲロを吐き出したりしても、寝続けている。もうみんな笑うしかなかった。

いずれの場合も、耳栓を所持してたので、使用したのだが、3割減ぐらいかな笑
それでも疲れてた分、寝ることはできたが。

結局いびきは先にかいたもの勝ちである。この世は早い者勝ち。自分にとっては勝てない勝負である。なかなかすぐ寝れないので、他人の近くで寝る機会がある時は、ノイズに備え耳栓持ってくようにしているが、いびきがこの世からなくなることを密かに願ってます笑

 

女性の歌詞に揉まれて

最近「すっとこどっこい」という女性バンドがラジオ出演しているのをたまたま聞いた。
パンクサウンドで「あの娘のおっぱい揉まないで♪」と耳を突く。
ものすごくインパクトがあった。音大卒で鋭い歌詞を歌うバンドらしい。ダメな自分についての歌詞や下の話も割とあり、聴いてるこっちがドギマギというか、苦笑いというか。
ただ嫌な感じもしない。ものすごく正直に心情を吐露している歌詞なので、聞く側の共感もあるんだろう。尾崎のようで別物笑

女性の歌詞は心の奥に響いてくるものが多い(先の「揉まないで〜」は一先ず置いておいて笑)。男の歌詞でも心情に訴えかけるものも多いけど、殆どが羨望だったりただ女々しいだけである。女性のはそれとは少し違う、強さとか許容とか包容力みたいなものを感じる。そう思うと女々しいという言葉もなんか変な感じがするな笑
男はいつまで経ってもマザコンなのか、どっか何かに頼る感じ。内向的で色んなものに依存してるのも、男の方が多い気がする。酒、タバコ、女然り。

自分そんなにJPOP聴かないけど、耳にするだけでも、歌詞のいい女性アーティストはいるなと感じる。
宇多田ヒカル、ドリカム、aiko中島みゆきユーミンCocco
ドキッとさせられるのはいつも女性の歌詞。

ホント女性は根っこが強い人が多い。知らない土地に一人出されても、対応能力が高い。グローバルにも強い。どこでも誰とでも仲良くなれるし、言葉わからなくても、日本語ででもコミュニケーションとってる笑

だから男はそういう部分含めて女性に惹かれるんだろう。すげーって。
しかし、女性から男性の歌詞を見るとまた違う視点があるのかな?母性本能くすぐるのかな?

ズレ

タレントの武井壮さんが、スランプの原因は頭と体のズレと言う。頭ではこうしているつもりが、実際体はそれとはズレていると。
歌を歌っていて、後から録ったものを聴き返すと、音程やリズムがズレている。それはただの音痴か笑 でも先の話と同じに思う。自分が思っている音感やリズムとズレている。だから自分の中でチューニングを行う練習を行う必要がある。

同じズレでも自分の作る音楽の世間とのズレ。特に評価されてる訳でないし、今の流行に合ってるとも思わない。でもそのズレこそが自分たる所以と信じて、ポジティブに創作活動してる。自分の好きな事をやりたい、そこを優先したい。

今耳や目に入ってくる流行りのものは、みんなが好むものとのズレを感じるようなものは少なく思う。
昔の名作…音楽、映画、文学、漫画、ファッションにしろ、心地の悪い、違和感を覚えなくないものが少なからずある。高尚、難解、奇才、と呼ばれるものが最近は注目され辛くなってるように感じる。
最初に見たり、接したりして全く意味や良さがわからない、面白いとも思わない作品、でも心に残る違和感。なんだったんだろう???ってやつ。
この気持ちからそのジャンルへの探究心が生まれると個人的には思う。
映画ならキューブリックゴダールタルコフスキー、デビッドリンチ、ホドロフスキー
音楽ならデビッドボーイ、ジミヘン、トーキングヘッズ、スライ アンド ザ ファミリーストーン、レッチリ

これらは最初全くわっかんねー状態に陥った人達だが、今では大ファンだし、自分の人格形成に良くも悪くも影響している人達。

ただ今でも新しく生まれてきているはずなのに、接する機会があまりない。これはと思ってもどっかソフトなんだよね。
だからそう言う作品に接したいと思う時には、過去の作品を探すことになる。

芸術はその人の持っているズレ、世間との違和感を表現するもの、人が考えもつかないことを表現すること。それが芸術を愛している人間の欲している刺激である。

ビートルズみたいに、売れ線と芸術性の両方を表現できているものもあるけど、それは難しいし、資本主義どっぷりの今のご時世、売れないと評価されないんだろう。

売り上げ気にせず、大衆迎合せず、そのクリエーターの信念が爆発している作品がもう少し評価されやすい余裕が社会にでてくるといいね。
創造性については世間とのチューニングは必要ないと思いたい。それが許される時代になっていく希望はあるような気はする。

時代を感じさせる言葉

「電話のベル」と言う言葉を自分の曲で使ってる。言葉のリズムが音楽のリズムにぴったりだから。でもなんか死語の雰囲気がプンプンする笑
今の時代、電話といえば携帯なわけだし、着信音鳴らしている人の方が少数派だし、年齢層が高い。しかしこれを変えようと考えてもいい言葉が見つかってない。

歌詞を考える上で、流行りものの言葉を使うか使わないかは、悩ましい問題。

流行歌という側面で考えれば、ターゲットの世代に1番響く言葉が重要だろうからアリだと思う。時代が流れてもその時聞いていた人達は懐かしさと共にその曲を楽しめるだろうし。

普遍的な曲、時代を超える曲という側面で考えると、とてもいい歌詞だったとしても、時代を感じさせる言葉が一つでもあると、古臭さが全体をダメにしてしまう。結構な破壊力がある。

時代を感じさせる言葉
パリピ
ヤバい
街コン
ヒルズ族
ヤマンバ
ゆとり世代

もっと昔だと
ドロンする
耳がダンボ
パープリン
かぎっ子
ミーハー
プータロー
デジカメ
ファミコン
ポケベル
カローラ2


アップデートがあるものは生き残る。アップデートされなくなったら死語となる。
スマホ
ググる
プリウス
コスプレ
ガラパゴス
フリーター
引きこもり

あえて今の時点で時代を感じさせる言葉を使うテクもあると思う。新しい言葉として使う。まぁ結局はセンス笑

ことば遊びで時代を乗り越える。これが目標。