作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

時代を感じさせる言葉

「電話のベル」と言う言葉を自分の曲で使ってる。言葉のリズムが音楽のリズムにぴったりだから。でもなんか死語の雰囲気がプンプンする笑
今の時代、電話といえば携帯なわけだし、着信音鳴らしている人の方が少数派だし、年齢層が高い。しかしこれを変えようと考えてもいい言葉が見つかってない。

歌詞を考える上で、流行りものの言葉を使うか使わないかは、悩ましい問題。

流行歌という側面で考えれば、ターゲットの世代に1番響く言葉が重要だろうからアリだと思う。時代が流れてもその時聞いていた人達は懐かしさと共にその曲を楽しめるだろうし。

普遍的な曲、時代を超える曲という側面で考えると、とてもいい歌詞だったとしても、時代を感じさせる言葉が一つでもあると、古臭さが全体をダメにしてしまう。結構な破壊力がある。

時代を感じさせる言葉
パリピ
ヤバい
街コン
ヒルズ族
ヤマンバ
ゆとり世代

もっと昔だと
ドロンする
耳がダンボ
パープリン
かぎっ子
ミーハー
プータロー
デジカメ
ファミコン
ポケベル
カローラ2


アップデートがあるものは生き残る。アップデートされなくなったら死語となる。
スマホ
ググる
プリウス
コスプレ
ガラパゴス
フリーター
引きこもり

あえて今の時点で時代を感じさせる言葉を使うテクもあると思う。新しい言葉として使う。まぁ結局はセンス笑

ことば遊びで時代を乗り越える。これが目標。

 

違和感

今野球好きの人間にとって、ビッグイベントで盛り上がってます。そうWBC
各球団の主力が一堂に集まり、日の丸を背負い戦ってる。
個人的にはもう少しリラックスしてプレーして欲しいと願うのだが、それと共にどうしても気になることがある。ヤクルトの山田の髪型にどうしても違和感を覚える。
野球の素人が見てもホントにいい打ち方してるなと思う天才なのだか、ヘルメットを脱いだときのあの髪型が気になってしょうがない。昔のコントでの子供のズラのような髪型。
なんであの年俸貰ってて、あの髪型なのか。いや、あの年俸だからこそできる髪型なのか。

天才の違和感。

イチローのTシャツ、ジーンズの裾の折り目
筒香スペイン語

ビートたけしの首回し
タモリのサングラス
松っちゃんのマッチョ体型

ジョンレノンの丸メガネ
ジミヘンのストラト
マークボランのキラキラ感
デビッドボーイの変化
岡村ちゃんダンス
永ちゃんのタオル、自動運転
マッキーの福耳とピアス

ゲスさんの髪型
エルトンジョンの髪型(これは違うか笑)

一般人じゃかっこ悪く見える事を威風堂々とする。孤高である。

だから常人は決して天才のマネをしてはいけない。最悪人生が壊れる。そんな人結構います。

ただ最近天才の破天荒さにケチをつける人が多くなってきてるので、それによって才能が潰されてる気もするなぁ。

人との違いをコンプレックスとせず、個性として開花させ、人に何かわからない違和感を与えて、気になる存在として君臨する。それが天才。

ちなみに自分の場合、自分の中で感じる違和感を歌詞にする事が基本です。そんなのは基本のことかな…

 

喫茶店

カフェ派か純喫茶派か。
そりゃ純喫茶派です。

四人が座れる席に一人で占有して、作詞やブログのアイデアを考える。なんという貴重な時間。
そう純喫茶に時間と空間を買いに来ている感じです。なのでコーヒーもカフェほど拘りなくてもいいです。くつろげる空間が貴重なんです。

しかしこのご時世、高齢化問題の波が純喫茶にも襲って来てるように感じる。
純喫茶を支えてる層が高齢者であるため、今から10年後この人達が来れなくなったら、この喫茶店はどうなるんだろうかと心配になります。

カフェが個人的に落ち着かない理由は、
席が狭い
音楽が大きい
お上りさんやナルな人
綺麗な子が多い
まぁ純喫茶と比較しちゃうとですが。

もちろん個人で経営されてるカフェで、すごく良いお店もあります。すごくコーヒーに拘ってて、知識も豊富なので話ししててとても勉強になります。

でも拘りのものはお気楽さがないので、どこかくつろげない。

最近いろんなジャンルで、拘った店が増えて、拘ってない店が駆逐されていってます。
パン屋、ラーメン屋、美容室、本屋、酒蔵…

拘ったものは生活に刺激を与えるけど、人は更に次の刺激を求めるので飽きられる。なので更に努力して新しいものを作り出す。人もそれを期待する。それができなくなると、他の店に駆逐される。意識高くないとやっていけない。必死感がある。

そういうのから全く対極にある純喫茶のような、何の変化もなくいつも変わらないサービスを提供してくれる店。これはこれで必要な存在。使う側も期待感はなく、お気楽に利用できる。

日本のサービス業は外国に比べて効率が悪いみたいな記事を読んだことがある。そりゃそうだろう、サービスレベルが全く違うから。
日本人は人の要求に対して真面目すぎるのかな。

オカンが作ってくれるごはんのような落ち着く店。そういう店がもっと増えていかないかな。

時の過ぎ行くままに

オザケンこと小沢健二の20年ぶりにMステ出演が話題になってた。20年経ってこれだけ注目される人も珍しい。

自分天邪鬼でいつもリアルタイムでは興味示さず後から好きになるタイプなので(ホント悪いところです)、人気がピークの頃はあまり知らないんだけど、作詞作曲能力の高い人だなと、近年ずっと気になる人ではありました。

それにしても20年ってすごい。年の若い人ほどすごい数字に見えるでしょうね。でも本人にとってはそんなになのかもしれない、少し久しぶりかなみたいな。
しかし20年以上前のキレッキレなオザケンをVTRで見せられて、今の物腰の柔らかい感じを見ると、人間変わるんだなと。
新曲の「流動体について」の歌詞やテレビでの対談でも間違いに気付くことについて話してたから、随分印象が違う。昔は俺間違わないからってオーラが出てたから笑

時間はみんなに平等と言われる。
しかし人によって時間の使い方はそれぞれ。
ある人は時間が足りないといって、寝る間を惜しんで働いてる、もしくは働かされてる。
ある人はヒマだから時間を潰すためにお金を使っている。
ある人は時間の流れに抗うことなく、感性の赴くままにゆっくりと過ごしている。

時間の過ごし方で、考え方も違ってくるだろう。時間の使い方を変えれば間違いに気付かされることもあるだろう。

忙しくしてても、ゆったりとしてても、過ぎ行く時間は同じ。でも体感は全然違う。
相対性理論とは逆で、忙しく走ってる人の時間は速く進み、のんびりしてる人の時間はゆっくりである。

厳密に言わなければ地球にいる以上、時間は絶対的であるのに、感じ方は非常に相対的。

短い寿命で駆け足で駆け抜けるか、長い寿命でのんびりと歩むか。
どちらが幸せとも言えない。

ただ久しぶりに見たオザケンが20年前より素敵に見えたのは、彼の変化のせいなのか、それとも自分の変化のせいなのかはわからないけど、歳を重ねるって悪くないと思える出来事でした。

待たされて

ホントに最近待たされる。前にブログでも触れてるが、現在も状況は変わらない。

車は修理に引き取ってもらうまでに1ヶ月かかったが、それから2ヶ月連絡なし。
初診で病院の受付を8時半に済ましたが、予約が優先とのことで、診察が13時以降。遠くの病院だったので待ちぼうけ。
アマゾンで在庫ある商品が、届くのに6日かかった。過去最長。

うーん、別にそのことに対して怒ってる訳ではないんだけど。不幸なことが起きてる訳でもないし。でも何かなぁと。
自分だけなのかなっていう被害妄想。
最近ツイてないので、余計気になってる。

人生を海に例えることがあると思うけど、大波小波であれば、それらはすごい小波である。
でもその小波ですらずっと続くと嫌になるし、気にし始めるとボディーブローのように効いてくる。

こんなことで心が曇ってしまう。

けんかも、親であろうと友達であろうと、発端は極めてしょーもない小波なことが多い。
言った言わん、遅れてくる、借りパク、だめなとこ批判、メシのこと、お金…
ただこれらに対する不満が積み重なっていくと、心境に変化がでてくる。そしてたった少しのことで、過剰反応するようになる。
終いには雪崩の如く爆発し、事によっては事件になるときもある。

嫌なことの積み重ね、いいことの積み重ね。
感じ方としては前者は足し算、後者は引き算のように思う。
嫌なことは積もり積もっていって爆発。いいことは常にフルの状態を保たないと印象が悪い。
だから小さい頃からいいことをアピールしておき、悪いことはまた怒られないように隠そうとする。

しかし日々いい事も嫌な事もあるのに、いい事にはなかなか気付けない。反応するのは嫌なことだけだ。
当たり前のありがたさ。
その当たり前がなくなった時のダメージは、計り知れない。

気にかけてもらえるありがたさ
作ってもらったメシのありがたさ

元気でいられることのありがたさ

太陽のありがたさ
自然のありがたさ

よく寝られた休日のありがたさ

今はパッとこれくらいしか浮かばなかったけど、改めてありがたさを感じてみる時間は必要だ。そして嫌な事は振り返らず忘れる事。

先人達も似たような言葉を残している。いい事嫌な事の対処の仕方。それが生きる上で大切なんでしょう。

くだらない話でした。

嫌われる勇気はお嫌い?

ベストセラー本であるアドラー心理学について書かれた「嫌われる勇気」。これをもとに、刑事ドラマとして脚色されたドラマが最近やってるらしい。一回も見たことないが。ちなみに香里奈は大好きです 照
で、そのドラマがアドラー心理学会から講義じゃなくて抗議を受けてるというニュースを読んだ。異なる見解を広めているとのこと。

人間関係で色々と考えてたときに、本屋で大量に山積みされた「嫌われる勇気」という題名の本。少し立ち読みして、衝撃を受け、買いたい衝動に駆られてご購入という本屋の思うツボで読んだ人も多かったろう。煽りもあるよね笑 読んでみてそれなりにメモったりして、感銘を受けた、その時は。すぐ忘れられちゃうんだけど。

「嫌われる勇気、そうだよ、好かれるために気を遣って、ぺこぺこしなくてもいいんだよな。」
➡︎
「まぁ嫌われてもいいや」

この発想になってしまい、人に積極的に関わることを止めたため、人間関係がよそよそしくなっちゃった。
典型的に間違った浅はかな理解だったかな…

他に
褒める叱るではなく感謝
相手を無条件で信頼

これらも、言葉通り真に受けて実践してみても、相手が自分の想定通りの反応してくれる訳でないので、余計イライラしたり傷つく。

アドラーは勇気の心理学と言われてる。でもこれだけではわからない。
なんか住んでる次元が違うのかなぁ。

意識高い系な人間関係の中では非常に効力を発揮しそうな気がするが、非常に意識低い系の間柄では、痛い目に遭いそうである。

アドラー心理学は正しく理解するのが難しいと言われてる。

人についつい合わせて、行動できないという自分の殻を破れない人にとっては、有益なものであると思う。
でもあまり考えずに鵜呑みにすると、自分の思ってない結果に落胆する。
まぁ興味のある人は気をつけてね〜

 

無頓着

テレビに横尾忠則さんが出演されていて、自著の本の宣伝兼ねて、本の内容を語っていたのだが、その中で無心より無頓着というワードが出てきた。無心は無理だから無頓着でいると。

無頓着。
全く気にかけないで平気なこと。
別な言い方すると執着心がないこと。
これができれば気になることもなくなる。
悩むこともない。
全ては解決。メデタシメデタシ。

ウーン、これすら難しい…

最近流行りの瞑想。とっくにパクついてるんだけど、無心になるということがいかに難しいかは実感済み。
お香を焚いて、床に座り、半眼になりマントラを唱える(本のとおり)。

「おー、無心でいる。いい感じ。
であいつ、なんでいつも時間遅れてくるんだろう?俺だから?あ、いかんいかん。後で後で。

この間食ったあんかけスパ、唐揚げも付いてて、あのボリューム、また食いたいなぁ。あ、いかんいかん(名古屋の男子は大好きです)

あの曲のアレンジ、結局どうしような。俺のギター要らないかもな、引き算は大切だよ…あ、」

自分の中で気になる事、それが次から次へと頭をよぎる。ある意味今の悩みの羅列である。口も心も黙ってられない。

前も書いたとおり歌っている時でさえ無心状態はお恥ずかしながらない…
煩悩まるけである。

いま執着していること、煩悩に対して、無頓着でいる。
どうでもいいと思う。

執着のない二人の関係。
大人な付き合い。

あれ?そういう思考になると、ラブソングって書けなくなるぞ。

君が欲しい
ずっと好きだよ
守ってあげたい
君を思うと涙が出る
ありがとう
感謝
さようなら
僕の方を見て
見つめて
俺の話を聞いてくれ
捨てないで
恨みます

ラブソングは執着心と嫉妬と妄想の塊である。

ラブソングばかり書いてる人で、本当の幸せを手にしてる人いるのかな?
想いが強いだけに結構山あり谷ありな気が笑

こういう感情をルサンチマンというらしい。
こいつはものすごいパワーを持つ。
そのベクトル次第で幸福にも不幸にもなる。

個ではストーカー、引きこもり、逆ギレ、
集団では何かに対する反対運動、炎上、戦争、差別。

こいつが強すぎると、結局相手を苦しめ、互いに幸せになれないと思う。

できるだけ自分に対して無頓着でいること、そして相手を尊重し思いやること。
自分の想いは口に出さないと相手に伝わらない。でも相手への想いは、口にしなくても伝わる気がする。

自分に無頓着でいることは、これから楽観的に生きていくためのキーワードなのかな。