歌詞忘れ
練習はウソをつかない。確かに本当にそう思う。しかしどんなジャンルの名手でも本番でミスをする。練習通りやるだけなのに。
歌詞なんて、スポーツと一緒でルーチン的なものなので、しっかり練習してれば体が覚えてるものである。
でもやらかしてしまう。練習時にはない何かがふと入ってくるから。
集中力を乱すその何かとは?
あの人聴いてくれてるなぁ
あいつ聴かずにスマホ見てる
あの人エロいなぁ
あれ、次のフレーズどうだっけ?
早くステージ終わらないかな
終わったら何食おう
…
煩悩まるけである。
桑田佳祐がよく歌詞間違えると聞く。
ジョンレノンのCome Togetherのライブ映像をよく聴いてると、歌詞間違いだらけ。
でもお二方堂々と間違っても歌ってる。
内心どうなんだろう。
また自意識過剰による緊張もミス誘引のひとつでしょう。
アマチュアのライブ観てると、「もう緊張しちゃって全然ダメです」と自己弁護する人いるけど、観てる側からすると、そうなの?って感じなんだけどね。ど緊張してることの表現力がすごい人もいるけど笑
緊張は集中力をあげるのに必要だけど、心が囁くネガティヴな語りかけに反応するとダメ。
「みんな見てる、ミスしたらどうしよう…」
煩悩による集中力の低下と自意識過剰な緊張がミスを誘発する。
本来進んでいく曲の時間軸上でつまづいてしまう。
まぁライブはノリなので、誰も歌詞間違えなんて気付いてない。気にしてるのは本人だけである(静かな曲歌ってる人だと、モロバレるんだろうなぁ)。
簡単な歌詞にして間違えリスクを減らすのも手なんだけど、まだ単純に表現できるほど成熟してないしな。
結局誰もが行き着くところは一緒で、練習と場数。
できれば、間違えた時のリカバリ反射神経を鍛える。
もしくは歌詞自動生成能力を磨く。
これはある意味才能かな。テレビで毎回歌詞を勝手に変えてしまう歌手がいるってやってたけど、あれはすごいわ、プロ。
適当な人、憧れる。
そして間違っても緊張してても堂々としてればいい。
自己弁護はダメ。
でも脇汗でバレちゃう笑
フォトグラフ
写真って不思議。
同じiPhoneで同じ構図で撮る写真でさえ、撮る人違うと全然違う。センスが出る。まぁセンスがない人にはその違いすら気付かないようで…
高知桂浜の坂本龍馬像、これをバックに記念撮影をツレに任せたら、龍馬の頭がフレームから切れてる。何を撮ろうとしたのかわからん。
撮るとき何を考えてるか聞いてみたら、何も考えてないって…そうだろうなぁ。
見ててつまらない写真は、まずこの何も考えてないやつ。
あと思いっきり型通りというか教科書通りのやつ。
奇をてらいすぎてる。
意味が深すぎて伝わってこない。
これって歌詞にも言えるよなぁ。
カメラがレンズを通した世界なら、詩は言葉を通した世界。
同じ題材でも、人により全く違う作品になる。
センスってなんだろうか。
印象に残る何か。
ふと気付くような何か。
あっと思わせるような何か。
一言から、大切なことを思い起こさせる。
普段口に出せない普遍的な想い。
感じる違和感…
女性の方がセンスを持ってるように思う。
男はねぇ…
僕ちゃんの世界
あなたと私の世界
想いのゴリ押し。
カッコつけ。
どストレート。
自分もわかっちゃいるけどやめられない。
うーん。
森のクマさん
嘉門達夫も戦々恐々だったろう。
例の「森のクマさん」替え歌問題である。
(本人曰く許可とってからリリースしているとのこと)
俗っぽい普通な人なら、自分の作品が再注目されるわけだし、これを機に平井堅にでもカバーしてもらえたりすれば一攫千金も夢ではないのに。
で、今回この「森のくまさん」の歌詞を改めて見てみたところ、すごくふわっとした僕の目指すところの究極に達している作りで。意味がわかるようなわからないような。
アメリカ民謡であるもともとの原詩については、詳しく書いてあるページがあるので、そこを参照してもらうとわかるんだけど、簡単に言うとくまとバッタリ出会った男が、くまに逃げないのかと言われて逃げる過程を、割と詳細に面白おかしく描写してるのだが、これの日本版は大枠は踏襲しつつ、主人公の性別を女性に変え、ふわっと仕上げてる。
自分は英語の歌詞を日本語に訳しているものによくありがちな、リズム感のない冗長なものは嫌いなので、作詞の際はいかに短く響きのいい言葉を探すことをして、字余りになりそうなときは言葉をカットする伝家の宝刀オッカムの剃刀技法を使う。これにより詩の内容に不思議感が漂うようになる。深読みしてもらえればこちらの勝ち?
日本版の歌詞を見てみると、詳細はほぼカットされている。くまさんに出会って、なぜかお逃げなさいと言われ、後をついてこられ、落し物を指摘され、お礼に一緒に歌う。
映画的にはパニックコメディ?
またある日本のプロデューサーが、歌詞に名詞を置くというのは作詞の高等技能と言っていたが、そこもクリアーしている。突然森の中で白い貝殻のイヤリングである。オシャレ感を出し、色彩的な違和感も演出する。
そう作者は余計なものは削ぎ落とし、一見意味のないものを付け足すといった簡単そうで実は難しいことをやりつつ、ふわっとオシャレに仕上げるカリスマ美容師のようなひとであることは間違いない。みんなから愛されるということは、そういうセンスの持ち主である。
言葉数が多いのはそんなに難しいことではない。捨てることがいかに難しいか。断捨離である。
そして個人的には行間の読めるもしくは出せる男になりたい。