作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

キミに100パーセント

あなたの持っているものの中で、そのものの持つ機能を100パーセント使い切ったなぁと言い切れるものってあります?

 

夏に行った登山。2日目の下山時は天気予報通りの大雨。基本的に晴れ男なので、カッパとリュックカバーは持っていても使ったことがほぼなく、リュックの奥に数年眠っている状態だった。今回の大雨はせっかく高いお金をかけて買ったカッパを本格的に使う最初の機会となった。

 

登山用のカッパは非常に高価である。登山をやらない人に説明すると、登山時に一番気をつけなければならないのは体温の管理だ。なるべく体を冷やさないことが鉄則。体が冷えてしまうと低体温症になってしまい最悪死に至ってしまうからだ。その体を冷やす大敵は汗と雨。登山用のカッパには値段により、その大敵から体を守る機能が付いている。ゴアテックスという素材を使ったカッパだ。このカッパは雨から身を守りつつ、中でかいた汗の湿気を外に逃がすことができるので、カッパを着てても汗でビタビタになりにくいというのが売りである。この素材を使ったカッパが妙に高い。が、命には変えられんと奮発して買ったものである。

だからこの降ると分かってた雨はちょっと嬉しかった。さぁマイカッパよ、本領を発揮してくれとw しかもこの夏、防水手袋も追加装備していたので雨防備としては完璧である。

因みに一緒に行ってる連れは、ただのナイロン製のゴルフと兼用してるようなカッパ。そんなカッパじゃビタビタになるだろうにと心の中でほくそ笑んでいた。

 

いざ下山。横殴りの雨の中ウキウキ気分で快調なスタート。下山はいつも辛いはずなのに、俺様は完璧という優越感はこうも人の気分を変えてしまうのかw

「まだ雨が浸みたりしてない?」なんて連れに聞いたり。

 

ある程度時間が経った頃、自分のなかで違和感を覚え始める。浸みないはずの自分が、局所的に冷んやりする。胸、腕、太もも、手袋。

まさか完璧な自分がね、なんて気にせず歩いていたが、その後長い時間を待たずしてすぐ確信に至った。体中が濡れてると…

 

これは良くないと、休憩ができる山小屋が先に見えてたので、休憩しようと提案した。そして連れに白状した。「俺ビッタビタ」だと。

 

こんなビタビタになるはずがないのにと、原因を考えた。すぐに答えがわかった。

カッパの着方が悪いのであるw

晴れ男が故の知識と経験のなさが原因とは…

要はカッパの口という口が、完全に閉まってなく緩く開いてたのだ。頭のフード、袖口、手袋の口。口という口から伝い入ってきた雨は、やがて中のシャツを通過して、そのままズボンに侵入する。そして最終駅である靴の中に到着した。そう全身ベタベタになるのは当然である。高機能な自分という思い込みによる完全な奢り。夏だったことが救いであった。

 

道具とは機能は大事だが、使い方の方が大事である。使い方を理解した上で、自分にとってどこまで機能がいるのかを見極めて買う。高いものや高機能なものを買えばいいというものでもないということを考えさせられた。

自分の持ってるギター、iPhone、車、服、本。

まぁまぁ値段のするギターを恐れ多いと弾いておらず、そのギターの良さを引き出せてない。ホント貧乏性。

先日機種変したiPhone。ゲームもしない、動画もあまり見ない、写真もそれほど。文章書いたりや音楽聴くぐらい。まさに無駄な高機能。

安かったとはいえ割と走る中古の車を買ったものの、スピードはほとんど出さない。その車メーカーのイメージダウンである。

服。買ってももったいないから着ない。着ないのが一番もったいないのに。

本。買ったのにどれだけ読んでない本があることやら。ただの買って満足ってやつ。

 

使いこなせてないものばかりである…

 

ボヘミアンラプソディー

「クイーン」の映画が話題になっているので見に行った。

なんか評判が良さそうだし、クイーンのメンバーが監修していることもあり期待感もあった。と同時に伝記物は外れが多い印象もありどうなのかなと不安もあった。しかし開始ど初っ端に鳴る映画会社のファンファーレ的な音楽が、ブライアンメイのギターに置き換わってたことに気づきテンションが上がる。ファンタジーのような映像とストーリーに引き込まれ、最後のライブシーンでは鳥肌が立ってしまった。物語に伴う陰鬱さもあるが、やはり魔法がかかったかのような演出と高揚感を与えるライブシーンは、よくある伝記物の映画とは一線を画していた。

 

その映画のライブシーンを見ていて、学生時代の記憶が蘇る。

 

「あっ、エ~ロって言っとるw」

 

フレディーがライブ中に客と行うコールアンドレスポンス。フレディーが叫び、観客もそれに答えて叫ぶ。

昔初めてクイーンのライブを見たときに、「エ~ロ」と聞こえてきたのがおかしくてしょうがなかったw

実際には「エーオ」って言ってるようだが、当時の僕の頭に入っていたフレディーに対する少ない情報、中でもバイセクシャル(初耳、なんだそれ?みたいなw)、エイズ公表(あまりにもセンセーショナル)、そしてあの髭面とタンクトップからはみ出す胸毛という容姿のキワモノ感。それと相まって、あの叫びがそのように聞こえ、笑えてしょうがなかった。

そしてそれ以来フレディーが気になってしょうがなない。

「エ~ロっ」

頭から離れない。そしてそれがきっかけとなりクイーンのアルバムを買ってその音楽を深掘りしていくことになったわけで。そんなことをこの映画を見て思い出した。

 

若いうちに違和感を覚えるものや、理解ができない高尚なものを経験しておくことは、その後の人生の視野を広げ豊かにしてくれると自分の経験的にも強く感じる。ただこれを受け入れることができるまでには、少し時間がかかる場合が多い。頭がそれに慣れるというのか。どのように?それはその感じた違和感が繰り返し頭の中でループしてしまうことだ。日常生活のふとしたタイミングで頭の中でループする。授業中、登下校中、バイト中、クソしてても。なんでそうなんだろうってw 頭の中をグルグル回る。そしてふと気付けば虜になっている。

 

そんなアーティストはクイーンの他にも何人かいる。

 

デビッドボーイ

奇抜な声と格好。そして時代ごとに全く違う音楽性。特に低音で歌うようになってからのボーイが入り口だったので、あの囁くような歌い方が気持ち悪くてしょうがなかった。ただその気持ち悪さが心地よく感じるようになるとは。ドリアンフルーツのような存在w キワモノ界の王様です。

 

スライ アンド ザ ファミリーストーン

最高傑作と言われる「暴動」というアルバムが理解できなかった。あのスカスカで退廃的なサウンドサウンド的に派手なバンドばかり聴いてたので、そのやる気も高揚感もないダウナーな世界観は違和感でしかなかったが、段々それが心地よくなり…

 

ザ スミス

とにかくボーカルのモリッシーの声に慣れてしまえばw こんな唯一無二のサウンドを作り出すバンドはなかなか無い。

 

レッドホットチリペッパーズ

名前が出始めた当時は、キワモノバンドの代表格。自分がのめり込むきっかけの曲は「GIVE IT AWAY」。この曲もキワモノっぽい曲だが、プロモのあの何かの呪術を行なっているかのような踊りも相まって頭から離れなかった。おちゃらけと内向さが同居しているのが好き。

 

いずれの方々、キワモノさが出てるアーティストである。そしてレジェンドである。飛び抜けたキワモノ感は心に引っかかる。それはどこかシンパシーを感じるからだろう。自分が自分の中で押さえつけている何かと。中途半端な何かと。それを表現できてるのはスゲーなぁと。

 

 

分野が違うけど、太宰治が人気あるのもそうなのかもなぁ。客観的に見たらあんな駄目な人いかんよねw 普段の生活では駄目な人は敬遠するのに。飛び抜けてると魅力に感じるというw もちろん自分の大好きな作家である。

 

残酷な天使のテーゼ

人は自分のやってきたことを、人に強要したがる。


それがいいことならまだマシなんだけど、良くなかったことでも、自分はやってきたからと人に強要する。最悪は一見良さそうで実は良くないことを、強要でなく薦めること。おススメと言われると選ぶよねw


強要。

セクハラ、パワハラはその一端だろうし、世の中には悪しき慣例が残っている。その慣例自体そんなに意味を見出せないことなのに、儀式のように続いているものがいくつかある。その1つにリクルートスーツがある。


リクルートスーツを着ることにどんな意味があるだろう。思いつくのは、本人にとっては社会人になるにあたっての気持ちの切り替え、まぁ成人式みたいな部分。会社にとっては、入社後の勤務イメージがしやすい。もしくはスーツを着れるかどうか(「こんなん着れるか」って奴を除外)、ルールに従順かどうかぐらい?面接でリクルートスーツを着ることに全く意味がないとは言わないけど、割とデメリットの方が多いようにも感じる。それはみんな同じ格好をしてるとみんなが均一に見えて、その人から醸し出てくる人間性を見逃す可能性が高くなるからだ。


最近とある会社の人から、仕事がイマイチな従業員の話を愚痴っぽく聞かされた。仕事が遅い、期限守らない、コミュニケーション能力がない、不潔、爪を噛む、挙動不審、寝る、プライドは高い… うーん、話を聞く限りでは救いようがないw
その会社の他の人にもその従業員について聞いてみたが、同じ事を言うので、みんな同じ風に感じる子なんだろう。ただそう愚痴を言いつつも、なんとか一人前にしてあげようと言う気持ちも持たれてて、色々と努力されてるようだった。
入社面接の時にそういうことを見抜くのは難しいんですかね?と尋ねてみると、わからないよねぇと。

 


面接での騙し合いの要素は否定するつもりはない。面接をする側も受ける側も、良く見せることはテクニックなのでお互いさま。受かった者、採った者勝ちである。しかしみんな同じ新品のリクルートスーツを着て来られると、絶対見落としてはいけない何かを見逃す。


自分が思う人間性が垣間見えるのは
・お酒の席
・お金に対する考え方
・普段着の格好(身だしなみ)
である。いずれもその人のキャラが滲み出てくる部分である。案外こういう人なんだと感じる瞬間。しかし面接ではこれら全てが見えない。いや蓋をされてる。そうなると判断基準が言葉と表情だけとなってしまう。面接テクニックを付けてる子ばかりなので、その仮面の下に隠れている癖を発掘するには、面接する側もそれなりのテクニックがいる。

まぁそもそも面接だけで人を判断することは難しいことなんでしょうね。プロ野球のドラフトのように長い期間観察できるにもかかわらず、入団後に花を咲かせない選手が多いのに、面接だけで何がわかるっていう。

 

無難なタイプは無難。改革するタイプは変態。これはいつの世も変わらない。そう考えると件の子は独特な部類なので、もしかしたら覚醒して大化けする可能性がある??そうなるといいですねぇ、役に立たないと思ってた奴がいざという時役に立ったという話は好きですよw(他人事)

ぶんぶんぶん

秋。日中も過ごしやすい穏やかな気候は何かに集中して取り組むにはいい季節である。そんな中、夏の残党がまだ活動している。蚊である。今ブログを書いてる最中も自分の目の前を何の警戒感もなく通過する。流石に夏ほど活発な感じはなく、放って置いたら左手小指に刺しやがった。なんでまたそんな末端を指す?もっと美味しいところあるだろうに。

 

蚊。なんで虫へんに文なんだろうかと、漢字の由来を想像してみた。まさか飛んでる時の「ブーン」じゃないよなと、ネットで調べてみると正解だったw そんなもんなんだ。

 

しかし蚊というのは、とてもリスクの高い生き方をしている生物だなぁと。見つかったら一瞬で殺されるにも関わらず、果敢に獲物に突進して血を吸う。そしてその勇気の跡を誇示するかのように痒みを残していく。まるで人類未踏の地に冒険者が旗を立てていくかのように。

 

蚊を見ていると、生き物というのは食うか食われるかというのが本質なんだろうなと再認識させられる。生きるためだったらなんでもする。無慈悲なまでに。手段を選ばない。この人はかわいそうだから刺すのはやめてあげようなんてことはしない。かわいくても刺される。美味しそうじゃないからはあるだろうけど(防衛手段として不味そう、ヤバそうはありだよねw)

人間も少なからず蚊のような生き方をしている人がいる。一か八かの戦いを挑む人達。格闘技どころか、兵士だったりゴルゴのようなスナイパーだったり。はたまたギャンブラーだったり、デイトレーダーだったり。勝たなければ生きていけない世界。負けたら終わり。

 

一方人間の世界は宗教的な考えが浸透しているからなのか、戦い合うのではなく互いに生きやすいように生活ができる、いや人はできるだけそう努めている。それが100%機能しているわけではないが、日々戦わなくても生きていける。それはお金と同様で、人を信用してるから社会が基本成り立っている。なので人を信用できなくなったら破綻する。まさにバイオレントムービーの世界に突入する。

 

今の世界のゴタゴタ、なんかそんな感じがする。国同士、人種同士、宗教同士で信用が欠けているように思う。だから不信感が募って、それが元となり怒りから悲しい出来事が各地で起きているように見える。

 

蚊の話から飛躍してしまったが、蚊とは信用を築くことは無理でも、同種である人間同士であれば信用は築けるはず。そのためには理解することが大切なんだろう。違いを理解するのは大変だけど、その気持ちを少しでも意識するだけでも変わってくると思う。なるべくでいい。それが少しずつできるようになれば、今世界で起こってる問題も解決に向けての糸口が見えてくるのではないか。蚊ですら蚊同士で刺し合いはしないんだから。人間なんだからね。一人一人がやろうと思えばできることだし。

そんなことを考えてる今も小指が痒いw

Band on the Run

バンドのリーダー。
 

自分とは無縁の世界であるし、やりたくもない。マイペースでやりたい人間なので、人に指図されたくないし、したくもない。どちらかと言えば、リーダーを別で立てておいて、実権は自分が握るというのが好きかもしれない。だからおだてれば何でもやってくれるリーダーは好きw
それはさておき、自分が理解しているリーダーの役割とは、目標と方向性を決め、その実現のためにみんなのお尻を叩くことである。決して目立ちたがりやお山の大将は向いているとは思えない。
世間で有名なリーダーにも色んなタイプがいる。
 

カリスマタイプ
昔ながらのその人の人間性で引っ張るタイプ。いわゆる熱いタイプの人間。成り上がりという言葉が有名。
 

仕事人タイプ
ある目標を実現させるために託された仕事人。自分の戦術を実行するため、適材適所に人を登用する。プロデューサー的な視点がある。
 

放任タイプ
個々の自主性を尊重する。個性豊かな集団となる。イケイケな状態になると無敵。しかし自由すぎて問題が生じる可能性がある。
 

管理者タイプ
細かいところまで目が届くマネージャーのような資質がいる。
 

カリスマタイプは怖いので嫌だなぁ。人の言うことあまり聞かないので、仕事人タイプも避けたい。でもどちらも成功に導いてくれるのなら我慢できる?


昔は圧倒的にバンドのキーパーソンがリーダーという感じだった。カリスマ性でぐいぐい引っ張っていく。しかし強引に物事を進めることで、他のメンバーから反発をくらい空中分解するという流れが多かったように思う。今のご時世、適しているのは放任主義か管理者タイプだろう。バンドの活動を潤滑に進めれるよう調整できるタイプ。だから今のバンドは割と仲がいい。

しかししかし、物事が停滞してしまった時、リーダーはどうすればいいのだろうか?放任しておいて物事が進むのか?仲良くやっててもねぇ。

 

自分はリーダーでない。バンドの曲を書いて歌う立場。リーダーは放任主義で基本何もしないタイプ。バンドも何年もやってればマンネリになる。何も変化しなくなる。練習してこない。曲も覚えてこない。緊張感もない。慣れとは恐ろしいもんである。でもこれじゃいけない。しかしリーダーは何もする気配がない。自分が何か刺激を与えなければと、色々とハッパをかける。それが微妙な空気を生む。変なプレッシャーに感じているのか。それとも口うるさい奴と思われてるのか。そんな感じで空気を読んで褒めつつも叱咤する事を続けていたら、メンバーから仕事忙しい理由でバンド活動が停止してしまった…

 

自分もリーダーでもないのに、少しでしゃばった事をしていることは認識していたので、反省というかもっと違うやり方があったかなと思う部分はある。だからと言って何もしなかったとしても結果は同じである。ダラダラ同じことをプレッシャーのない中でやることに何か意味があるのか?演奏は真剣なぶつかり合いがあってこそ楽しい。スポーツの真剣勝負と同じ。そこは最低限求めたいし、そういう人間とやりたい。

 

結局今となって思うのは、物事を継続していくためにはインセンティブとなるものが絶対必要だという事。スポーツであれば勝つ事だし、仕事であれば成果。下世話に言えばお金。など色々あるが奥底で共通するのは評価を得るということ。

じゃあ、バンドをやってるものにとって、一番のインセンティブとは?自分たちが作った曲が人から評価され、それを肌で感じれるようになる事だろう。しかし残念ながらそれを結果として残せなかった。やっぱりバンド活動を継続しようとするなら、何かしら結果を出すことは必須である。それがやる気の源泉となるから。

 

今回学んだことは、リーダー像はいくつかあるとは言え、リーダーに一番必要なことは結果を出しつつ、それを一緒に頑張ってくれた人間と分かち合えることができるということ。これがないと誰もついてこない。しかし頭では分かっても実際結果を出すことは難しい話ではある。だがそれ以上にやりがいがあることでもある。

 

 

コンピューターワールド

夏休み期間中、作った曲のミックス作業を試行錯誤しながらやっていたが、慣れない作業のストレスなのか、とうとう脳みそがパツンパツンに固まってしまったので、リフレッシュを兼ねて1日温泉がある街までドライブに出かけた。


三重県のとある忍者で有名な街の温泉に行く。車で山を一つ越えて、降りたところをさらに奥に進んだところにある。ナビなしでは辿り着けないレベル。
まだ午前中にも関わらず、既におじいちゃんでいっぱい。その中に混じり源泉掛け流しの超ぬる〜い湯に浸かり、マッタリとした時間を過ごす。


温泉からあがると、ちょうどお昼ごはんの時間。温泉でも食事ができたのだが、折角だから外で食べたいと思い、手グセのようにスマホでランチ検索する。車で20分ぐらいのところに蕎麦屋がある。まぁ片田舎なんで蕎麦屋はあるわなぁと思いつつ、詳細を見て行くとズバ抜けて評価点数が高い。いろんな食事系サイトを見てもどれもそうだ。よし行こうと車を走らせるが、またこの店も奥地の中の奥地にあり、ナビがあっても迷うほど。駐車場に辛うじて着くも、そこから肝心の店が見つからなくて、人に聞くほどw
蕎麦はもちろん点数通り美味く、蕎麦のわからない自分でも、香りを感じるほど上品なものだった。あー美味しかったと、帰路の車の中で、ある思いが生じた。なんかここ数年、評価点数に振り回されてるなぁと。
確かにいい温泉、いい蕎麦屋と一見良い1日を過ごせたかのようだが、これが本当に良いのかと。旅の要素が格段に少ない。


旅には失敗やアクシデントが必要なのだ。旅は人を成長させる。こんなスマホでサイト調べて、点数だけで判断してよかったよかったなんて何が面白いというのだ。自力で店を探して、直感でその店に入っていいものか判断する。そしてその店が仮に不味かったとしても、それはそれで良い経験ではないか(美味かった店よりも不味かった店の方が、思い出としての記憶が強いのは自分だけじゃないはず)。なにも知らない土地で、直感力をフルに使い冒険をすることこそ、本当に楽しい旅ではないか。スマホなんて使ってたら、その面白みは半減する。寄り道も迷子もまた楽し。失敗を恐れるな!ブツブツ…


いやいや、今回はリフレッシュが目的なんで冒険はいらない。危ない危ない。パッケージ旅行のノリでいい。旅は思い通りにならず疲れるもの。わざわざ疲れに行く必要はない。用意されたものを何も考えずに楽しむ。旅と旅行は違うのだ。そういう意味でスマホツアコンみたいなもの。


気の多い僕はリフレッシュのつもりが、いつも余計な冒険をして疲労困憊してしまう。ゆっくり休めばいいのに。気づけばリフレッシュより刺激を求めてしまう欲求は収まりそうもない。

ヒーローズ

さくらももこさんが先日亡くなられた。


子供の頃お金もなかったので、身の回りで読むことができるマンガなら何だろうと読んだ。妹が読んでた少女マンガでさえもw
そんな頃リボンという少女マンガ雑誌に連載がスタートしたのが、「ちびまる子ちゃん」だった。初めて読んだ時の種衝は今でも忘れられない。


「わぁ、平らぺったくて下手くそな絵」


子供心の正直な感想である。他の掲載されてるマンガが少女マンガと言え、力量のある派手な作品が多い中、完全に異彩を放っていたこの「誰でも描けそうな絵」。しかし結局誰も真似ができなかった。オンリーワンな存在。こういう人を天才と言うんだろう。
絵に圧がなければ、ストーリーにもドラマ性という圧がない。とにかく緩い。全くドキドキ感のないよくある日常生活の一コマで物語が進んでいく。このことが女子が思う「かわいい」に火をつけたんだろう。自分も当時から割と「かわいい」には敏感w
同時期にリボンで連載されていた「お父さんは心配性」と共に、マンガを変えた作品だなぁと個人的に思っている。
ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。


さてこの「ちびまる子ちゃん」が連載されていた1980年代は校内暴力が問題になるなど、学校は血気盛んな時代。ヤンキー、体育会系が幅を利かせ、先輩後輩の関係が厳しく先輩は神であり言うことは絶対。理不尽な命令にも後輩は絶対服従。そんな中で生き抜くためには要領を覚えてかわいい奴でいなければならなかった。当時はそんな世界があることに憂い、幼心にこれから迎える将来を不安に思ったものである。


そしてこの頃の時代の寵児と言えば、とんねるずだった。体育会系そのままのノリで絶大な人気を誇り、みんなが真似してた。世の中をおちょくったような笑いは、色々とストレスの多い中学生活の中でカタルシスが感じた。ノリでおふざけすればいいと。なので学校内外問わずおふざけした。それがストレス解消になったこともあるし、度が行き過ぎて嫌な思いもしたこともある。まぁ今覚えばみんなでおふざけを共有することが楽しかったんだろう。


そんなとんねるずだけれど、最近人気が凋落しているという記事があり、そのことについてみんながSNS上で話題としていたので、意見に目を通した。そのほとんどはとんねるずに対して否定的だった。なぜならとんねるずのあのノリに馴染めなかった人たちの意見だったから。理不尽な体育会系のノリを当時毛嫌いしてた人、学校内にある体育会系やヤンキーを頂点とするヒエラルキが嫌だった人。自分も当時はそれにビビってたので、なんとかそんな人たちと上手くやっていく手段を常々考えていた。要領よく付き合うという処世術。それができない人は酷い目にあってた。そんな人はとんねるずは嫌だったろうことは想像できる。


そんな中、面白い意見があった。


とんねるずの人気が凋落した一方、おちょくられる側の出川哲郎が今人気絶頂であること。


・当時迫害をもろに受けていたアニメオタクの人たちが今人気漫画家となり、アニメ人気の原動力となっていること。


むむっ、これはある種の復讐劇でないか!モンテクリスト伯のごとく(読んだことないけどw)。迫害を受けていた人がめげずに夢を実現させ活躍することにより、世の中の人が持つ偏見がなくなっていく。一生懸命必死でやってる人間を貶すのでなく、応援する土壌を作った(とんねるずが決して一生懸命やってなかったわけではなく、あの時代の中で一生懸命やってたはずだろうけど)。


昔の出川哲郎と言えば、「こいつになら何してもいいだろう」という存在。所謂いじめの対象だ。彼がいじられている姿を見て楽しんでいた人も多かったろう。当然世間の出川に対する評価も散々で、抱かれたくない男性のトップ常連だった事に現れてるとおり、気持ち悪がられていた。それが今では愛されキャラである。まさに大どんでん返し!w  アニメも同様で今ではアニメ無くして日本は語れない程だ。


時代は変わる。いや変えられる。その時代の雰囲気に迎合せず、やりたい事を一生懸命やってれば周りが変わっていく。そしてある時世間が変わったと気づく。なんて希望のある話だ。今彼らが時代のヒーローなんだろう。


そして、ちびまる子ちゃんもまた今の緩い時代を作ったヒーロー。緩いっていいよ、本当。