作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

ランナウェイ

「追えば逃げる美、追わねば追う美」
「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」

先日三重県菰野町にある美術館「パラミタミュージアムの企画展に行ってきた。お目当は河井寛次郎。日本の著名な陶芸家である。昔テレビで彼の特集を見て以来のファンで、名古屋から京都の河井寛次郎記念館まで行ったこともある。とにかく美のセンスの塊のような人。知らない人には一見をオススメする。冒頭の言葉は今回見た展示会の中で見かけた言葉だ。

 

「追えば逃げる美、追わねば追う美」
これは自分でもよく思い当たるフシがある。自分から積極的に追っかけた女の子は、一度もうまく行ったことがないw  追っかけられた方がうまくいく。追っかけるのをやめると、別の美しいものに出会うことはよくある事だ。

 

でもう一つの「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」という言葉だ。禅問答のような言葉が妙に引っかかってしまって。

これは一体どんなことを言ってるんだろうか。フワッとは理解できるんだが、モヤっと感が残る。

 

美。美しいものはみんな大好きだ。だからそれを目指して追っかける。
美が追っかけてくるとは…美女に大勢で追っかけられたら、どんなに幸せなことだろうか…いやそんな事を言ってる訳じゃないだろう。
なんだ美が追っかける仕事とは?スターになれという事か?いや、いい加減そこから離れようw

 

しばらくしてある言葉を思いつく。「型」という言葉。「美」を「型」に置き換えてみると腑に落ちるぞと。寛次郎の言いたい事とは違うかもしれないが、自分はそう理解した(言葉とは難しいなと思う…解釈次第でどうとでも取られて本人の想いとは違ってしまうことがある。違ったらスイマセン…)

 

「型を追っかける仕事と、型が追っかける仕事」

現在までに世の中の人が作り出した作品は、大きく分けると二つの世界に分類されると思う。それは型の中で勝負する世界と型からはみだしちゃってる世界。

型の中で勝負する世界とは、ある型を模範にして、その中でより良いものを作ること。ブームの波に乗っかるのもその一つだろう。第一人者の真似をしてものを作る。これはみんなが通る道だろう、どんな偉人でも。
特に今のご時世、売れる為の型に合わせなければならない風潮なので、そういうものが巷に溢れてる。

型の中で勝負するメリットは、結果が早く出る可能性が高いことだろう。産業、飲食、サブカル、音楽、芸術、一度ブームが生まれるとみんなその型を追っかける。器用だったり能力が高い人なら名を挙げるには1番の近道。僕の好きな近代の芸術家を見ても、若い頃の作品はピカソゴッホなどの影響がもろに出ているものが多い。それはある種仕方ない。無名の人がいきなりその時代のブームから離れた事をしても、誰も評価してくれないから。今回取り上げてる河井寛次郎も有名作品の模倣のような作品も少なからずある。

じゃ型の中で勝負するデメリットは。それはブームが去った後は、何も生み出せなくなること。どんなすごいブームも終われば誰も追っかけなくなる。今の芸術家でピカソゴッホっぽい作品を描いてる人なんてほぼいない。それはブームじゃないから。〜ぽいねで終わる。ブームとはそういうもの。

じゃ次の別の型で勝負すればといってもその型にどっぷりと浸かった後では、なかなか切り替えるのは難しいだろう。今までやってきた事を全て捨て去る覚悟がいる。

 

対して型からはみ出しちゃってる世界で勝負するとは。型を無視すること。自分の中のプリミティブな感性をそのまま作品にすること。人がどう思おうが気にせず、自分の美を貫くこと。それが勘違いからだろうが、変態性からだろうが。これが人から評価された時、その人に対して型がついてくる。唯一無二の美として。

 

「美を追っかける仕事と、美が追っかける仕事」とはそういう事なのかと思った。巨匠と呼ばれる人は、絶対自分の型を持っている。その型は最初から持ってる人もいれば、人生の分岐点で手にする人もいる。いずれにしても他人が作った型から離れないと、自分の型はついてこない。

じゃ型からはみ出した方がよいのか?多分だけど寛次郎は、どちらがよくてどちらが悪いということを言ってはいないように思う。要はバランス感覚だ。大御所ミュージシャンで今も売れてる人は、音楽的な流行りもいやらしくない程度にうまく取り込んでいる。そのブームのど真ん中にいる人にもアピールしないと忘れ去られる。

よくあの人の作風は変わってしまったなんて批判する人がいるけど、作り手は変わっていかないと何も生み出せなくなる。作風を変えることは不安でしかないにも関わらず。そして変化できて評価されればその人に新たな型がついてくる。それができなきゃ消えていく。芸術家は同じことやってたら飽きられる。

 

 

最近曲作りであることを感じるようになっていた。それは曲を思いついた直後(人によっては降りてきたとも言うがw)のプリミティブな状態と、アレンジした後の状態では、なんか曲の雰囲気が違うなと。それは無意識に流行りの音楽の型にはめ込んでいるからなんじゃないかなと。もうちょっと曲にプリミティブ感を残したいなと思っていた、まさにそんな時にこの言葉に出会った。流行りに飛びつくだけでなく、自分の音楽を素直に表現する。そのことの大切さを再度認識させてくれて、勇気をもらった気分になった。どうせなら自分の型がついてくるようになることを目標にしたい。そして美女にも追っかけられるようになりたいという下心もありつつw

美女と野獣

これもアンビバレントと言うんだろうか。女の子を見てて、格好がダッサーと感じながら、色気も感じてしまうことがある。と言うより若干ムラっとするw 逆に完璧なスタイルでオサレさんはあまりムラっとしない。あまりにキレイな人だと、仲良くなったとしても今流行りの一線を超えない可能性さえある(ないかw) 自分の好みはキレイ系のお姉さん。しかしこんな風に思うのはなんでだろう。マイナス面があることの安心感なのだろうか。人のマイナス面は少なからず警戒心や緊張感を解く。

 

しかしである。ダッサーと感じるということは、自分の好みとは真逆であり下手するとストレスの原因となる。それなのに好きになってしまったり、そのマイナス面を気にならなくなるだけでなく、そのものを愛してしまうようになる(でもいつかその魔法も解けてしまうかもw)

 

好みは人それぞれある。先程も触れたが、自分はキレイ系のお姉さんが好き。かわいい系は苦手。派手な色はダメ、ショッキングピンクとか。声フェチで色気のある声が好き。後ろ向きな子はダメ、タバコはダメ…


しかし今まで付き合った子はこれらの好みと大体合致しない、いやむしろ逆。好みじゃない部分に気付くと最初はしょうがないなぁなんて寛容な姿勢(何を偉そうにw)でいるんだけど、そのうちその好みじゃない部分に魅力を感じて来る。好きになるとマイナス部分させ愛らしくなる。これは特に自分だけのことでなく、割とこういう人は多い気がする。美女と野獣カップルとか。

 

好みとは憧れということ。その憧れを探している時に、不意に今まで触れたことのない世界に遭遇する。自分の憧れとのズレ。このズレが妙に頭の脳裏に残る。そして新たな気付きとなる。

 

そう考えるとまさに珍味の世界だ。一般的に美味しいと言われるものからズレた味。臭いものを美味しい美味しいといただく。高いお金まで出して。子供には分からない味。苦味、酸味、塩味、腐臭。まさに人生と重なる。人に対する好みにも珍味の世界はあるはず。通の世界。大人にしかわからない世界が。

 

ビリージョエルの曲で「素顔のままで」という曲がある。そのままの君を愛してるんだと。その「そのまま」の部分が珍味にあたる。他人からしたらよく一緒に居られるなと思うカップルも、その人にとったらそれがないと人生が無味乾燥になってしまう。最近奥さんを亡くされたプロ野球の野村元監督を見てると、それを感じざるを得ない。他人からは欠点にしか見えない部分がその人にとっては掛け替えのないものなんだと。

 

そういう思いで街で歩いているカップルに目をやると、また違って見えるかもしれない。人間の好みは色々なのだ。違和感を感じるカップルがいても微笑ましく思える。こういう色眼鏡で人を見ることはよくないかw
実は自分もたまに通なモードになる時がある。面白みはそちらの方があるようで。「この人変わってるわ」というのが味わい深いんでしょうね、きっと。

 

世界に一つだけの花

うちの近所にディスカウントショップがある。これがよく街で見かける店とは違う。とにかく激安。その代わり訳あり商品となる。その訳とは僕が思うに二つ。一つは賞味期限が近づいたもの。もう一つは全く市場で売れずに不良在庫となったものだ。別に僕じゃなくてもその店に行けばすぐに気づくw

 

賞味期限、これは消費期限ではないので多少日にちが過ぎても気にならないのなら、あと少しの期限だとしても大量購入してもいい。この店で某有名メーカーの炭酸水が一本30円で売ってた。賞味期限1ヶ月前。思わず箱買い(24本)した。炭酸水も賞味期限あるんですね。で家で飲んでみてあることに気づく。なんか若干炭酸が弱いw だからなんですかね、賞味期限があるの。でも少し弱いだけなので、全然酒を割る用途であれば問題なし。

 

さて今回の本題。もう一つの安売り商品である。新商品なのに市場で全く評価されず売れ残り、人知れず不良在庫となったものだ。このディスカウントショップの売られてる商品を眺めていると、まるで人が考えたアイデアの墓場のようだ。しかし失敗作はなかなか興味深く、チャレンジした跡というのは見てて勉強になる。成功した自慢話よりも失敗談の方が得られるものが多いのと一緒。笑えるものもあるけどw
覚えてるもののいくつかをあげる。

 

スナック菓子の某有名炭酸ジュース味
スナック菓子ハーブ風味(バジル、パクチー
甘い系スナック菓子のガーリック味
柿ピーのソース味

 

今の流行や若い世代の趣向から、菓子メーカーの人達がアイデアを出し、自社商品と融合させて誕生させたもの。残念ながら自分は手を出さなかったw(昨今なかなか看板商品の別の味というのは成功例が少ないですね)

 

で思わず買ってしまったもの。まずポテトチップス。赤いパッケージでデザインも攻撃的で目立つ商品。そして今まで聞いたことのない外国のソース味。そのソースの説明として甘酸っぱく辛いと。パッケージの良さとその得体の知れないソースに惹かれて手を出した(この店では安いからと簡単に買ってしまう…) 食した感想だが、実にもったいないというのか。なんと一口目が微妙というか、はっきり言えば美味しくないのである。なんか味がもやっとしててはっきりせず複雑。そして鼻を通る風味も良くない。ホント食べたことのない異国の風味。だが食べ続けると段々、「おっ美味い」と感じ始め、程よい辛さのせいか手が止まらなくなる。結局食べ終わりの感想としては美味かった。ただ今のご時世、ものを売るには最初の15秒が大切である。音楽で言えば最初の15秒しかリスナーに聞いてもらえない。この15秒の間にいいと思ってもらわなければならない(だから最近は曲の出だしからサビのものが増えてる)。そう考えると、このポテトチップスは致命的である。最後が一番いいんだからw

 

もう一つの商品はネーミング。この商品に関しては仕方がないかなぁ。スペインの料理にうなぎの稚魚のアヒージョという超高級料理があるそうだが、それを模した廉価版の商品。シラスの代わりに魚のすり身を使ってシラスのように細長く成形して、味のついたオイルに浸した缶詰。缶を開けると細長い糸のような白いすり身が油に浸っており、味は魚肉ソーセージという感じ。そしてその名は「魚のすり身 うなぎの稚魚 ガーリックオイル漬け」。そのまんまなんだが、だからと言ってこれ以外には考えられない。少しでも変えたら嘘になる。さらに問題なのが見た目。細長い白い糸のようなものが、油に浸かっているパッケージ。そしてネーミングがうなぎの稚魚風である。日本人感覚からすると、見たからに美味しくなさそうに見える。これも食せば、ツマミとして全然アリなのだが。

 

世の中には良いものなのに、ちょっとした欠点もしくは文化の違いにより評価されないものは結構ある。自分の作っている音楽も、こういう問題を孕んでいる可能性は十分ある。でも自分の事はわからないものである。自分では良いと思っていても、世間は違うのだ。しかし人のことはよく分かるんだけどなぁ。永遠の課題だ…

東京

  どうも暗黙の了解なのか、歌詞に使っていい都市と使って行けない都市があるように思える。

よく歌詞に使われている都市や街
東京、大阪、横浜、神戸
渋谷、新宿、原宿、下北沢、秋葉原、池袋、上野(古いかw)、茅ヶ崎、湘南
海外だと
ニューヨーク、カリフォルニア、L.A.(ロスアンジェルスだとダメな気がする)、ロンドン、パリ、香港

逆にあまり使われていない都市や街
名古屋、福岡、仙台、京都、神奈川、埼玉、千葉
品川、恵比寿、自由が丘、三軒茶屋、栄(名古屋)、名駅(名古屋)、内海(名古屋近郊の海)
海外だと
カナダ、オーストラリア、ドイツ、イタリア、スペイン…アジア、中東、アフリカ
ワシントン、ボストン、ローマ、モスクワ

  人が外から集まってくるところは歌詞として使われていて、大都市であっても定住している人が多いところはあまり使われていない気がする。
それはその都市に対して憧れや思い出があるかどうかなんでしょう。その街の名前を聞いた時に何かを思い出す、共感する人が多い街。東京なんてその代表かと。また名前が有名でも、観光や遊びで行くような一見のところは使いにくい。

  ふと名古屋をテーマにした曲を書こうかなと思ったんだけど、名古屋というワードがすごく使いにくい。 なぜなら名古屋は典型的にずっと定住している人が多い街だし、他県の人が魅力を感じない都市らしいし、観光都市でもないし(でも意外と海外からの観光客は目にする。正直何を見に来てるのか全くわからない…もしかしたらその外国人になぜ来たのか聞いた方が、僕らの気づかない名古屋の魅力がわかるかも知れない)。
名古屋という街は住みやすくて好きなんだが、言葉にカッコ良さを感じない。まぁ名古屋人になんで名古屋が好きかと聞いても、ほとんどの人が住みやすいからと答える街だから、良くも悪くも魅力がないのは仕方ない。

  じゃあどうするか。ビートルズ戦法がある。リヴァプール出身の彼らはリヴァプールという都市名を歌詞に使っていない(マニアの人、間違ってたらスイマセン)。そのかわり、そこにある場所の名前を使っている。かの有名な曲、ストロベリーフィールズやペニーレーンだ。
さて名古屋の場合。使えそうかなと思うのが、
名駅
ナナちゃん(名鉄百貨店のキャラクター)
テレビ塔
100メーター道路
セントラルパーク(ニューヨークではない)
名古屋城
味噌カツ味噌煮込み、味噌おでん(3大味噌料理)
台湾ラーメン
あんかけスパ
手羽先
モーニング(喫茶店で朝コーヒー頼めば、無料でトーストとゆで卵が付いてきます)

うーん使いづらい。出てくるのは食べ物ばかりだし。諦めよう…いや頑張る、いつの日か!

 

   話は変わりますが、ブログを始めて一年近くが経とうとしています。1週間に一回書くと言うのは簡単そうで、結構大変なんですね。割と遅れたりしましたが…特に文才がある訳でないので、書くのに時間がかかってしまったり、文章に詰まってしまったり、書くネタがなくなってしまったり…でも書き続けることで、学んだこと多かったです。いかに自分が言葉のボキャブラリーがないこと、主語が抜けてしまうこと、読む人の側に立って書けていないこと、文章の途中でテーマが変わってしまうことなど。わかっていてもまだまだ悪い癖は治ってませんが、今後も頑張って書こうと思ってます。ただちょっと書くペースを落とします。歌詞を書く時間を確保したいため。2週間に一回のペースで続けて書いていきますので、今後共よろしくお願いします。

Super Star

  この世の中にはスターと言われる人達がいる。俳優やミュージシャンやスポーツ選手として活躍している人達。今のスターは本当にスマートだ。身長が高くスラッとしてる。おまけに歌が上手い人までいる…それに対して昔のスターは今とはちょっと違う。スマートと言うよりは無骨。昔のスターを映像とかで見てると、カッコいいなと感じるんだけど、なんか違和感を感じる。例えばミュージシャンなら

ジョンレノン
マークボラン
フレディーマーキュリー
ジェームズブラウン

映画俳優なら
ハンフリーボガード
ジョントラボルタ
石原裕次郎
勝新太郎
松田優作

  いずれもスター中のスターなのだが、違和感がてんこ盛りである。それはどこかカッコ悪さが同居しているから。なのに顔から強烈な自信という圧が出ている。だからなのか顔が大きく感じる、実際に大きいかw これらのスターはスマートなカッコ良さで無く、強烈な個性で人を圧倒するカッコ良さなのだ。

  先ほど挙げたスーパースターを今映像で見ていると笑えてくるものがある。時代なんだろうけど、コミカルに見えると言うのか。例えばジョン・トラボルタなんてあの浮世離れした顔といい、あのヘタウマなダンスといい。でもなぜかカッコ良く見えてくる。挙げたミュージシャンもジョンレノンのビートルズ以降の独特なファッションセンス、マークボランの気味の悪さ、フレディーマーキュリーの上半身裸でサスペンダー、ジェームズブラウンの彼にしかできないダンス。ダッせーと一瞬思うんだけど、その堂々とした強烈な個性にいつのまにか引き込まれている。挙げた俳優の方たちも同様である。で、この違和感は普通なら欠点になるんだろうけど、突き抜けると強烈な個性となりカッコいいのだ。そして見てる方も完璧な人間よりも共感でき、真似もしやすい(これは男性に特有のものなのか、同時代の女性のスターにはこの違和感は感じない。昔から大女優は完璧な美しさだ。)

  最近はこの違和感を感じるスターは少ない。みんな普通にかっこいいしダサくない。しかしこういうカッコ良さは真似したくてもできないんだよね。だって生まれ持った容姿がいるから。それに対して違和感を感じるスターは個性的なのでその部分は真似しやすい。だからかモノマネの人やフォロワーの人達が存在する。人は違和感があるものの方が印象に残る。食べ物でも臭みや苦味など違和感があるものは高級品に多いし、ものでも使いやすいものより扱いにくいものの方が面白い。完璧な美人よりも少し間の抜けた感じがあるほうがいい、これは自分の好みかw  いずれにしろそういうところがクセになり愛着が出る。

  ところで僕は顔がでかい。僕が持ってる違和感に当たる部分。だけど圧はない。スター性もない。倣って圧を出そうかと考えてはみたものの圧を出すと、人は寄り付かなくなるものなので、出すんであればそれなりの決心が必要だ。中途半端はダメでそれを越えた先にスターの道がある。でも別にスターを目指している訳でもないし、そこまでの覚悟もない。スターのジェットコースターのような人生に乗っかったとしても途中で簡単に振り落とされるだろう。スターは孤独だし。怖い怖い。スターの真似をしている素人が一番幸せなのかも。しかしリトル何某というモノマネ芸人は、ネーミングとしては絶妙だなぁ。本人を決して超えないという意味で。

  最近時代劇は世代交代が進んでみんな顔が小さいなぁと見てて思う。それに比べて昔の主役張ってた俳優さんは顔がでかい。顔面から出てくる圧も半端なかった。それにびびって悪党が怯むパターン、好きだったなぁ。こういう顔で演技する俳優さんはこれからはあまり見られないのかな?金八先生も顔がでかいから説得力がある(ように思うw) 顔のでかいヒーローがもっと出てきて欲しい。なんか仲間のようで安心できる。あっ結局話が顔のでかいことは良いことだと思いたいという内容に変わってしまった…

ヘイ ブルドッグ

  あなたがもし犬だったとしたら、忠犬とバカ犬どちらの人生(犬生)を送りたいです?

  こんな事を思ったのもうちのバカ犬を見てのことである。小型犬の特性なのか、まぁとにかくキレてはご主人様にマジ噛みする。言うことは聞かないし、寄っても来ない。台所の床でションベンをする。メシの支度中は吠えまくる。客が来たら突進する…
こんなどうしょうもない子でも、うちの両親から寵愛を受けている。出来の悪い子ほどかわいいのか。

  過去に見てきたバカ犬たちもみんな個性的だった。スルメが大好きすぎて体壊すまで食べ続ける、本の角っこをガリガリ噛むのが大好き(借りた本などかなりの被害が…)、なめ専(とにかく寄ってきてはなめまくる)、嬉ション、何の欲もない(散歩、メシに興味なし、ある種達観していてすごい)。

そう、バカ犬は個性的。そこがチャームポイントにもなり、しょうがないなぁという思いつつもかわいいのである。
それに比べて、人間界では先にあげたことをやろうものなら、簡単に信頼を失うことができる(ごくたまに、こういうことをかわいいと感じる器の大きい女性もいるけど。さすがに嬉ションはマズイかw)
なので人間界ではほとんどの人が忠犬を目指す。勉強をして体裁を良く見せようと頑張る。実際体裁よくしてた方が印象がいいし。人はこの体裁にわりと騙される(最近経歴詐称がバレた人とか、あそこまで自己演出ができるのは究極的にすごいなと)
しかし犬界では、忠犬は一見良さそうに見えるが、なんか可愛くないし、癒しもないし、見てても面白くないし、忠実すぎるとどこか重たさを感じる。勝手なもんだけどw まぁ犬に対しては打算がないから、冷静に判断ができているだけかもしれないが。バカ犬なんか何度同じことやっても、かわいがられるし飽きられることもない(これも人間界では通用しない、冷たい目で見られる)

  一見人間界と犬界では真逆の世界のように感じるが、共通して言えることもある。それは愛される術を知っているものは、幸せに生きられるということ。とにかく相手に脅威を感じさせない、ただ安心感や癒しを与える。僕なんか色っぽい喋り方されたらイチコロだし。こういう人ったらしであることは、共存して生きていく生物にとっては重要なスキルなんだろうな。ただこれを邪魔するのがプライドってやつ。これさえ上手くコントロールできれば快適な人生を送れるのかな。

「メシまだ〜」
「散歩連れてけ〜」
「いつもあなたのそばにいます(おしりフリフリ)」

やっぱり人間界では無理かw

I Gotcha

  なんか最近自分の中で信じていたことに疑念を抱くようになってきた。それは何かをクリエートする際は、プラスする発想ではなくマイナスする発想が大事だという事。
どうしても思いついたアイデアを、良かれと思いどんどん詰め込んでしまう。バンドでの曲のアレンジであれば、メンバーの意見を反映させなければという思いからなおさらである。だから俯瞰的に物事を見れて、余計なものは要らないとダメ出ししてくれるプロデューサー的な人が必要だなぁとつくづく感じている。これがプロとアマの一番の違い。アマの音楽聴くと、ゴチャゴチャ感やなんでこんな余計な事をしてるんだろうと疑問を感じることが多い(しかしなんで人のダメなことには簡単に気付けるけるんだろう、自分の事はからっきしわからないのに…)。それが昨今の流行り、別の言葉で言うと売れてる商品を見ると、先に書いたことが当てはまってないのではないのか?パッと思いつくだけでも

ラーメン
ダブルスープ、具の全部のせ

大福
フルーツてんこ盛り、プリン…

ソフトクリーム
味噌、醤油、わさび、魚介…

映画
アメコミのスーパーヒーローの共演

アニメ
昔死んだ敵キャラが仲間として復活


ワンポイントの刺繍や裏地

音楽
おまけ

  これらも単純に足してるだけでなく、素人では気付かない何かが工夫されているんだろう。しかし何か絶対的な価値観のあるものに、さらにおいしい何かをプラスされるとあっちゃ、僕みたいな欲張りな人間は購買意欲が刺激されてついつい買ってしまう。お得だし満たされる感じもあるし面倒臭くないし。なんとなく興味が湧いてしまうというのがキモなのかなぁ。

  しかしである。日本には「侘び寂び」という先人たちの教えがある。欲張って色々足してもよくならない、調和がなくなると。日本で時代を超越して残っているものはそういうものだと思う。

  確かにおいしいものを凝縮して、パッケージングしたゴチャゴチャ感はそれで新たな価値なんだろう。もちろんその足したもの同士が、相互作用により、1+1=2 以上の効果が出てるものであれば、それは素晴らしいし、新しいものはそうやって出てくる。でも相互作用がないなら、くどいだけでその塩梅は難しい。

  さてこの先もっと足されていったらどうなっちゃうんだろうと心配する。ヒーローもので言ったら、エヴァガンダムドラゴンボールポケモンが共演するとか。大福で言ったら、ケーキやらチョコやら別の大福やら・・・を皮で包む。こうなるともう原型がない。プロなんだからそこまで無茶はしないだろうけど。こういうものが新しいジャンルになっていくんだろうか?読めない。

  ものを書く人間として、足すのは簡単、引くのは勇気がいるという実感がある。足したら何かを引かなければならない。結局人はある時シンプルなものが良いと気づく時が来る。そしてそういうものが時代を超える。

 

  話題にした売れてるものも、そこに魅力があるからなので、そこにケチをつけるのは得策でない。音楽やってるこっちとしては、足すものすらないw ひがみになるなぁ。
ただ昨今はやり過ぎでは?と思うものが多く感じたので書いてみたが、皆さまはどう思われます?若干バットマンが他のヒーローと共に出てる映画は気にはなりますがw