作詞のネタ帳

日常や社会の出来事に対して自分の心に引っかかったことを元に作詞していますが、この心の動きを公開し、また作詞のアイデアとして使う目的で始めました。書いてる歌詞の意味がバレルかも(笑)

伝説のチャンピオン

今回はにわかの戯言。

 

先週のサッカーワールドカップ日本対ポーランド戦の日本の戦い方の賛否が世間やネットを賑わせてる。途中ウトウトしていて気付いたら日本が1点取られて負けていてびっくりした自分(ホントにわかなのでスイマセン)。でもテレビの解説が同時間帯のコロンビア対セネガル戦でこのままセネガルが負ければ、警告の少ない日本が勝つと言うのを聞いて、チャンネルを変えてそちらの方を観戦した。日本は卑怯と言われるかもしれないが、ルールがそうなんだからそれを利用しない手はないし、そこでスポーツマンシップと言うのか正当な戦い方をしても裏目にでることが割と多いので、あの時間帯となっては今回の日本の戦略は決勝トーナメントに行くと言う点では正しいと思って見てた。セネガルセネガルで点を取ればいいわけだし、卑怯と言われる筋合いはない(しかしポーランドも空気読んで攻めなかったんですかねw)


しかし戦い方があまりよろしくないと、批判は続出してますね。つまり目標を達成するのはもちろん、その戦いに内容も求める。しかし感動的な勝利を求める気持ちは分かるが、二兎を追うものは一兎をも得ずということわざがある通り、チャンスがあるのであればそこを逃さないことは割と大切だと実感してる。


なぜ実感してるかと言うと、同じことかどうかわからないけどプロ野球の日本シリーズの我が中日ドラゴンズ日本ハムファイターズの最終戦(第五戦)で考えさせられたから。この試合もかなり批判があったのでご存知の人も多いと思う。当時中日は落合監督。ここまで中日の3勝1敗で53年ぶりの日本一まであと一勝と迫った試合。しかも相手投手はあのダルビッシュ。なのにこの試合でダークホースの山井投手が8回裏までまさかの完全試合のピッチング(ホントこのピッチャー中日ファンからしても、たまにとんでもないピッチングをする不思議な存在。ゾーンに入ると誰も手をつけられない)。そしてスコアは1対0の僅差。さぁあなたが監督ならどうする?試合の内容(完全試合)に拘るのか、目標(日本一)に拘るのか、はたまた両方求めるか。落合監督は目標達成に一番高い確率の抑えピッチャーへの交代をして、日本一を成し遂げた。


この試合はホント様々な状況が揃った試合で、浅はかな自分が思いつくだけでも


・中日の3勝1敗とは言え、仮に負けると残り2試合は場所が変わって敵地の北海道での試合になること


得点差が僅差の1点であること

 

・この時点で山井投手の指のマメが破れてる


・山井投手であること(決して完璧なタイプのピッチャーではない、そこが魅力でもある)


53年日本一になってないこと

 

・何よりこんな試合落とすと余裕がなくなる


こんな状況のもとでの試合である。落合監督も冷静に判断して采配をしたんでしょう。当時試合をテレビで見てた時はピッチャー交代のアナウンスに正直「えーっ」とは思った。でも時が経つにつれ、流石の采配だったなと感心するようになった。だって中日は伝統的にあまりにも勝っておかなければいけない試合を落とすチームだから。チャンスは逃すなと。結局落合監督といえ、それ以降リーグ優勝は何度かあれど日本一にはなってない。それほど短期決戦は難しいし、運にもかなり左右される。


中日の歴代監督の中でも突出してしてるのは、星野監督落合監督だろう。そして両者の人間性はあまりに真逆。その特徴は自分が思うに、星野監督は見てる人に感動を与える野球、落合監督はとにかく勝つ野球でしょう。星野監督が常々夢という言葉を使ってたのに対して、落合監督は勝つことがファンサービスであるとこちらも常々言っていたことからもわかる。人気は圧倒的に星野監督の方がある。夢を見させてくれる男は基本モテますw 楽天時代の日本一を取った試合なんてあまりに感動的で星野監督を象徴してる試合。しかし星野監督は常勝チームを作れなかった。特に優勝をした次の年は、燃え尽きちゃうのか成績が良くない。に対して落合監督は安定して勝利する常勝チームであった。リーグ優勝に必要な勝利数に対して、逆算してるかのようなシーズンの戦い。強い相手に絶対勝つではない。捨てる試合は捨てる。勝てる試合は取りこぼさない。その象徴の試合は先に話した日本シリーズ終戦

星野さんはこの日本シリーズのことについて、あるテレビ番組で完全試合にチャレンジさせるべきだった旨の発言をしていた。またオリンピックの監督のとき、ミスした選手に再度チャンスを与えたにも関わらず、再びその選手が足を引っ張り試合に負けて、その采配は批判を受けた。またまた楽天の監督の際、日本シリーズで前日の負け投手のマー君に再度チャンスを与えて、感動的な優勝を果たした。
そう星野さんって情に熱い采配なんだけど、客観的に見ると割と博打打ちという見方もできるんですよねw それに比べ落合さんは勝てる確率の高い方を選ぶ。どちらが面白いかと言えば、見てる側としては星野さんの方だろうね。勝った時の感激はひとしお。でもその確率は高くはない。だが勝てばドラマチック。

どっちがいいかは難しいけど、常勝軍団の方がいいなぁ。今のドラゴンズの惨状見てると辛い…


さて今回のサッカーの日本代表の戦い。スポーツマンシップや感動を求める人からすると、がっかりな試合となるんでしょう。しかしリーグ戦と違い短期戦は余計なことをすると命取りになることがあるので、今回の西野監督の批判を覚悟の采配は立派だと思った派です。特にやり過ぎてるというわけでもないし(今回の批判で高校野球時代の松井秀喜選手の五打席連続四球の例えが出てるが、今回はあそこまで酷くないでしょ!なんでもやり過ぎは良くないです)。次の日本戦が見れることに感謝です。日本のサッカーにとっても決勝トーナメントの舞台は絶対いい経験になる(仮に最後まで勇敢に戦ったことにより点取られてたらどれだけ批判されるんでしょうね、たらればですが)。

 

しかしもう少し早く試合やってくれないかなぁ。夜11時過ぎると眠くてしょうがない(次の試合朝3時からなんですね…ガンバレ日本!)
 

Maniac

たまに一見特徴のなさそうな感じの人と話をしていると、ある瞬間からこの人スゲーに変わる人がいる。それはマニアの方。そしてそのマニアの人の語りたい魂に火を点けると、話は自分の知識が耐えれるか自信がないくらいディープな世界に入って行くことになる。


最近立て続けにマニアの人と話す機会があって、いずれも少しだけ話して要件を終えるつもりだったが、平気で3時間越えの超ロングな会話となってしまったw  しかし決してマニアの人のせいで話が長くなってしまったわけではない。自分が悪い。それは火にガソリンを撒くかのようにマニアの人がよくぞ聞いてくれましたという質問を自分がするからw  でも聞きたかったことを全部教えてくれるので楽しかった。


自分は決してマニアではない。性格的にもマニアにはなれない。大雑把だし、蒐集癖はないし、片付けできないし、マニュアル読まないし、感覚的だし…マニアの人は多分この逆の人間である。そんな僕でも未知の世界への憧れはある。新しい刺激に触れたい。そんな世界を雄弁に語ってくれるマニアの人は話をしていて純粋に楽しい。今まで疑問に思ってたことを質問する。すると明確な回答が返ってくる。すっかり腑に落ちる。バラバラだった知識がつながることにより、さらに疑問が湧く。この人なら答えてくれると更に質問する。その質問を待ってましたかと言うように解説が入る。以降このループである。


今回話したマニアの人はエンジニアでは
音響
音楽のミックスマスタリング
楽器修理


趣味では
オーディオ


いずれの人達も僕の無知な質問に対して快くなんでも答えてくれた。特にエンジニアの人達はそれを生業としてるだけあって、知識と言うよりは実務的な観点で話してくれる。時に知識は実務ではそのまま使えないことがある。知識は実際の作業では使える条件が伴わないときがあり、その場合は別の方法を選択しなければならないことが多々あるからだ。それを知らずに知識を盲信してそのまま使うと結果として酷いことが起こる場合がある。そういう経験的な部分をなぜダメなのかを踏まえて教えてくれるので、非常に為になる。

 


ただ世の中僕みたいにダボハゼな、なんでも聞きたがりの人間ばかりでない。自分のことを話したい人の方が多数派だろう。そして厄介なのは似たジャンルであっても立場が違えば意見が食い違うことだろう。今回こんなことがあった。


オーディオマニアの人と話をした時のこと。実際に音を聞かせてもらいながら、話はどうしても機材へと行き着く。


音楽の作り手が聞かせたい本当の音を聞く為にはレコードプレーヤー、アンプ、スピーカーそれぞれいいもの買って聞かないと。こんないい音で聞いたことないでしょ。また機材の組み合わせによって音も変わってくるし。」


実際に聞かしてもらい感動した。音の綺麗さ、広がり、音圧、今まで気づかない音までも聞こえたような気がした。僕のショボいカーステとは大違いだ。僕も欲しいなぁと本当に思った…


その1週間後、音楽のミックスマスタリングの仕事をしているエンジニアの人と話をした。自分も自作の曲をミックスとマスタリングを行うが、いつも同じ問題で悩まされていた。それは曲をカーステで聞いて絶望する問題であるw  自分の部屋のミックス専用の特殊なスピーカーで完璧に仕上げた自分の曲が、場所を移して車のスピーカーででかけてみると、あまりの音のショボさに今までミックスにかけてきた苦労と時間が全て台無しになったと絶望するのである。これは割とミックスやってる人ならあるあるな話らしい。そこでエンジニアにこのことを聞いてみる。


「ミックスは一般人が聞くであろうショボい環境でまともに聞こえるように調整するのが大事なんですよ。だからプロはスタジオにショボい音がするスピーカーをわざわざ置いてそいつでも調整している。部屋のミックス用スピーカーのみでいい音に調整しちゃうと、その部屋のスピーカー専用の音楽になってしまうんですよ。だから一般に売ってるレコードやCDの音はショボいスピーカーに最適な音なんです。」


なるほど。すごく腑に落ちた。と共に新たな疑問が湧く。


「あのー、先週オーディオマニアの人と話したんですよ。オーディオ機材にお金をかけることによって曲が持ってる本来のいい音がすると。でもさっきの話だとショボいスピーカーで最適になるように音楽が調整されてるんですよね?機材をいいのにすると音は良くなるんですか?」


「わかりやすく言うとですね、オーディオ機材はラーメンで使う胡椒みたいなもんなんです。」


「こ、こしょう?」


「食べる前にパラパラかけるみたいな。なくてもいいし、かければより美味しくなる。これをオーディオマニアの人に言うといつもケンカになっちゃうんですけどね。」


胡椒ねぇ…


そりゃケンカになるわな。何十万もかけてるものが、胡椒と言われりゃ…

 

この話はヴィンテージの楽器でも言える。一般人ではわからない何か違う部分を楽しむ話のように思う。多分音の周波数を専門的に調べるとミキシングエンジニアの人が言う通り、特に音が良くはなってはいないんでしょう。逆に本来の音から劣化してる説もある(実務してる人は現実的なタイプの方が多い気がしますなぁ)。
でも僕は信じたい。確かに何か違った、人の耳に心地いいオカルティックなその何かを。僕自身その胡椒の部分にロマンを感じるタイプなので。人生にロマンを振りかけ続けるぞ!

NINJIN娘

人はニンジンを目の前にぶら下げられると、どんなに疲れていようが気力がなかろうが、頑張ってそのニンジンを得ようと力が湧いてくる。得られればいいんだけど…


先日長野県の蓼科にある蓼科山へ登山をしに行った。蓼科は別荘地にもなってるような風光明媚な場所。そんなところにある蓼科山はまぁるく柔らかい女性的な山。とは言え2500メーターある山なので、それなりに登るのはキツイ。登山ルートはいくつもあるが、その中で七合目登山口を選択した。僕とツレとの登山の目標はあくまで頂上を目指すものであり、その行程の中身は問わない。だから利用できるものは利用する。行けるとこまでは車で行き、ロープウェイがあれば使うし、近道があればそちらに進む。どんな手を使ってでも簡単に頂上に辿り着くことが僕らのミッションw なので今回は一番距離の短い七合目登山口となった。


七合目からの登山なので、今回目指すラスボスの中腹からのスタートとなるので、平坦な道のない登りっぱなしの登山となる。最初は流石に緩やかな登り道だが、すぐに傾斜がきつくなる。冬の間にトレーニングをサボった体は、筋力もなく、オーバーウェートでいつにも増して呼吸も荒くなる。これは自業自得なので文句は言えない。体重やゴミなど要らないものは増やすのは簡単、減らすのは難しい。逆にお金など必要なものは減らすのは簡単、増やすのは難しいのは興味深いなんて思いつつ進む。


山小屋に辿り着く。この山小屋からが頂上へのラストスパート。大きな石がゴロゴロしてる急な登りを30分かけてゴールとなる。ここの山小屋は店員が気軽に声をかけてくれたりと雰囲気がいい。こういう雰囲気のいい山小屋というのは、色々な山に行っているが中々少ない。頂上などロケーションのいい立地にある山小屋と比べて、あまり立地の良くない小屋の方が、営業努力されてる分サービスもいい。ここの山小屋はまさにそんな感じ。来る人来る人に優しく声をかけてるので、声をかけられた人はそこで売ってるバッヂやバンダナをどんどん買っていく。山小屋でこんなに物が売れてる光景見たことがない。できる人である。


さて頂上へのラストスパート。今までの行程よりも更に傾斜がきつく、ゴロゴロしてる大きな石の上を登ってくので一歩一歩がきつい。呼吸も高度が高くなってる分更に荒くなり、心臓もバクバク。上を見上げてもまだ頂上は先だ。気分が折れそうになったその時、先にいる人のある姿が目に入る。


「えっ!タンクトップ???」


山でタンクトップ。しかも女性のようだ。こんな人、僕の山人生でも見たことがない。ツレにも教える。2人ともテンションが上がる。


「スゲーっ。早く追いつこう」


どこに残ってたんだろう、この力w  今までの1.5倍のスピードで、山の傾斜を駆け上がっていく。そう目の前にニンジンがセットされたのだ。このモードになると、集中力が増し、体の疲労感なんて感じなくなる。まるで獲物を追いかけるように。なんて動物的w
少しずつ差を詰めるが、追われる獲物も割と登るのが速く、一進一退の攻防を続ける。また少しと近づいたとき、「あれっ?」と思う。


「男じゃねぇ?」


まさか登山でタンクトップ着た女の人なんているわけないと我に帰る。そう思った瞬間、僕のふくらはぎが悲鳴をあげる。さっきまで獲物に集中してたのが、その目標を失い今までの無理が一気に足に来たのだ。


「うっ、ヤバイ」


ツレにも聞いてみると、そうだよなぁと。足の回復を図るために、暫し休憩を取り登りを再開する。しかしこの足取りはどこか重い。スピード感で表すと普段の0.7倍ぐらいだ。遅い。


トボトボ歩いてると、ツレが声を発する。


「やっぱり女じゃねぇ?」


僕も再度確かめる。そうだ、あの丸みを帯びたなで肩は間違いなく女性だ。


「行くぞ!」


心の中で声を上げた。
また1.5倍のスピードに戻り、獲物に向かって突進する。あと少しあと少しと心の中で念じながら、最後の力を振り絞る。そして獲物に到達する。


「獲ったどー!


しかし追いついたところで、現実に戻る。だってまじまじと見るわけにいかないし、その獲物には男性のツレもいるので声をかけるわけにもいかない。今までのあのテンションは何のためにとも自問した。本能としか言いようがない。この徒労感は重い…


こうやってなんとか頂上に辿り着いた。体を酷使したので疲れは半端ない。今にもふくらはぎが爆発しそうだ。ペースを崩すことは登山では危険である。こんなことで負傷して動けなくなったらどうするw 少しだけ反省をしたそんな1日だった。
 

Take it to the limit

「冒険野郎 マクガイバー」というアメリカの連続ドラマをご存知だろうか。

『世界中の悪と戦う「フェニックス財団」のトップエージェントであるマクガイバー。彼の最大の特技は陥った危機を手近な材料と豊富な科学知識の応用で切り抜け、数々の事件を解決する。』(ウィキペディアより)

結構昔のドラマなんだけどこれ大好きで、今回はピンチをどのように切り抜けるのかなと、固唾を呑みながら見てたことを思い出す。冒険野郎という響きもいいw

さてこのドラマの最大の見せ場はピンチの際に主人公の持ってる知識や経験を最大限に使って切り抜ける場面である。武器は使わず、今自分が持ってる道具で身近にあるものを利用して脱する。その際のうんちくっぽい説明がいい。「こんなときは○○が役に立つ」みたいな。理科の実験を見てるような感じで教養にもなる。
で今回自分が強調したいのは、このドラマの主人公マクガイバーとは限られた状況の中で卑怯な手は使わず、知識と経験だけを活かして最大の効果や結果を出せる男なのである。

 


最近ラジオ番組でトモ藤田というアメリカで活動しているギタリストがゲスト出演してた。音楽の名門校でも講師をしてるぐらいすごい腕前の人。そんな人がlimitationという言葉を使っていたのが印象に残った。その人の限界がその人の個性になるということ。大体普通の人は限界が見えたとき、欲張って何か今までやったことのないこと、例えば流行りのものを導入したり、小難しいことを足したりする。こうやって余計なものを足すことによりその人が作るものが他の人と変わらない均一化されたものになっていくと。そうじゃなく自分が持ってる能力や技術を100%使い切ってから更にもう一つ向こうへの世界の壁を越えれるかどうか。そんな人が孤高の天才なんだろう。そのためには自分というものについて考え抜かなくてはならない。

この番組の話からふと思い出したのが冒頭のマクガイバーの件。限界の中、自分の持ってる能力だけで解決する男。ランボーやジョンマクレーンとは違う。彼らは敵の武器を奪うは、派手にやりすぎるはw

 


最近便利になりすぎて、すぐなにかに頼ってしまう。わからないことがあればググるし、お金を使えばいくらでも逃げ道がある。音楽で言えば楽器が弾けなくても、サンプリングを使用して簡単に曲を作ることができるし。これはこれで素晴らしいことであるが、なんかあまりにも簡単に答えが得られてしまい、考えて答えを導き出すというプロセスをしなくなっている。それは自分以外の人もそうなんだろう。ここ数年目にしたり耳にするものは均一化されているように感じるし、なにを買っても一緒だったり、過去の偉人達のアイデアの寄せ集めのようだったり。

バンドやってると、こいつが自分の理想のプレーしてくれたらなぁとか、今流行りのプレーしてくれたらなぁとか、あるあるな話だと思う。でもこれこそが作品の均一化を招くんだろうね。自分が耳にしていることをそいつに望むということは、その耳にしたものに近くなることを意味する。そうじゃなく今あるものだけで考え尽くす。それがこのバンドでしかできない味になるんでしょう。バンドの面白みはケンカにあるとw

自分というもの、また自分と関わってる人や物。それらを味わい尽くす。そしてその中で考え抜いてうまく調理する。情報が簡単に入ったり、なんでも安く買える今の時代だからこそ、大切なことかなと。

デザイヤー

皆さんは何か急に必要となって探してるときに限って見つからないという経験はないだろうか?例えばガス欠でガソリンスタンドを探してるときなんてなかなか見つからない。他にもコンビニ、駐車場、メシ屋、ホテル…
不思議ですよね。普段どこにでもあるのに、いざ欲するとまるで神隠しにあったかのように見つからない。逆にどうでもいいときには嫌という程ある。この欲してるときと欲してないときの違い。端的に言えば欲望があるかないか。欲望がある時ほどそのものにたどり着けない。買いたい時に限って服屋の店員は声掛けてくれないし、ずっと狙ってた商品は売り切れ、お目当ての異性は縁がないなど枚挙に暇がない。これは何かあるなとw


でも世の中には大小に関わらず欲望叶えている人がいる。大きな欲望を叶えた人が世で言うところの成功者。欲望を実現するためには待っていてもダメであり、自分から掴みに行かなくてはならない。そして自分に足りない部分があれば、頭を下げてでも優秀なブレインを仲間にし、後は自分の立てた作戦を諦めずに冷徹にまでに遂行する…などというのが世に出てる成功本の大体の内容だろう。前置きが長くなったが、欲望を叶えるためにはそれを叶えるための事前準備と緻密な作戦と行動力が必要で、最初に挙げた小さな自分の欲望など、何も考えてない以上叶うわけないw  成功者ならば色々な場面を想定しつつ自分から叶えにいっているので抜かりはない。しかし欲望となった時点で、神さまに試されてるのか、すこしハードルがあがり試練ぽくなるのは気のせいかw


かと言えば逆に努力しなくても願いがなんとなく叶ってしまうことがある。欲望がなく心が無心のとき。例えばビギナーズラック。心に何の葛藤もないキレイな精神状態。これが好結果を生むんだろう。ゾーンに入るのも心に全く邪念がないとき。


そう欲望は色々と邪魔をする。心が落ち着かなる点と不思議と幸運が逃げていく点で。
一番最初に挙げた例も欲がないときは気にもならないことが、欲望となった時点で心が乱れ、イライラしたり焦ったり。心が動じてなければ本当どうでもいいことであるのに。


最近この欲望に着目している。そう欲望をなくし、願いを成就できないかと。こう考えてる時点でやっぱり欲望なんだけどw いや違うのは心を無心にして今できることに集中する。そして目標に近づく。あのイチロー選手が目標を定めて、一本一本ヒットを積み重ねていくように。


欲望があるとき心は欲でいっぱいの状態。そしてこの欲が邪魔をする。かっこいいとこ見せたいとか、失敗したくないとか、こういう邪念により集中力が低下し余計な力が入ってしまったりと、結局残念な結果となる。そうではなく目標を定めて、後は出来る範囲でできることを無心で積み重ねていく。


欲望を達成するためには、多少なり汚い手を使ってでも勝たなくてはならない。そして勝ち負けの世界なのでその代償もある。なのである種欲を実現できる才能がいる。商才なんてまさにそうだろう。そのような才能のない人は、まず目標を定めて後は自分のできることだけを無欲・無心で集中してこなす。これが目標に近づく最善の方法かなと。

 


僕の応援するドラゴンズ。今年も成績は低調である。中日スポーツ(新聞)をシーズン開始前から読んでるので、今年はひょっとしたら優勝かと毎年本気で思ってるが不思議と勝てない(これがファン心理なんでしょうか?)。僕の欲望が原因? 僕がテレビ観戦すると打たれる率は半端ない…本当半端ない…欲望は捨てて文句言わず暖かく見守ります。それを目標に。できるかな?w
 

Changes

最近セクハラ問題が世間を騒がせている。これが世界のどこの国だろうと、いつの時代だろうと起きている。そしてある年齢以上の人間が起こしている。10代の子がセクハラで訴えられたなんて聞いたことはない。この問題は思うに権力、金、女(異性)の全部もしくはいずれかが満たされてる人間が、それにより自分ならこれくらいは許されるんじゃないかという感覚の麻痺、つまり慢心により起こっている問題だろう。


昔はこんな人ではなかったことだろう。人を変えてしまうもの。先に挙げた権力、金、異性はわかりやすい。人の心の中にある動物的本能(心理学ではエスと呼ばれている)が持つ欲の丸出しを、超自我と呼ばれる理性が抑えている。で、その理性が緩むんだろう。自分は大丈夫だと。許されると。そんな勘違いが世間とのズレを生む。権力、金は人を思い通りにできてしまう。異性についても自分のワガママを聞いてくれる、もしくは聞いてくれた人間がいると、他人もそうしてくれると勘違いする。そう考えると10代の頃が一番理性があるようにも思えてくるw  別の言葉で言えばピュアなんだろうけど、このピュアさが先の3つを得ることにより無くなっていく。これが大人になるということなのか。


他にも人を変えてしまうものはある。酒、ドラッグは、理性を働かなくするものだし、依存度も高いのでこれはわかりやすい。逆にわかりにくいと言うか、気づきにくいものがある。それは【忙しい】である。これも人を変えてしまう。


忙しい。これは忙しい本人にとって、なんか免罪符みたいに使ってしまっている感がある。忙しいから自分には面倒くさいことはふってこないでみたいな。忙しい状態と言うのは仕事的には、嫌々やってないのであれば満たされた状態。なのでその仕事に絡む人たちとの関係は良好だろう。それに対して仕事と絡まない人にとっては、忙しいことを理由に言うことを聞いてくれないので、冷たい人に見えてしまう。あの人は変わってしまったなぁと。これもズレ。なので忙しい時ほどおかしな事が起こる。別れ話、相手の浮気、子供が病気になるなど。構ってあげないことによる寂しさがストレスになり、こういうことが起こる原因となっているんだろう。忙しさも自分に酔ってるというか、ある種慢心だろう。俺はこんなに頑張ってるんだぞ、いい事してるんだぞという。でも相手は残念ながらそうは思ってない。自分のやってることに酔ってると、えらいところに落とし穴がある。それは自分の蒔いた種であるから同情はされない。

 

なんかセクハラの話から脱線しちゃった。


最後にセクハラの話に戻るけど、根本の原因はと言うとやっぱり衰えぬ性欲だ。しかも歳をとる毎に秘めていた変態性が表に出てくる。こいつも理性が緩むせいなのか?それとも老化現象かw  妄想だけならかわいいもんだけど、人に迷惑かけてはねぇ…
 

無限大

薄々感じてたことであったが、最近確信に変わったことがある。それは譜面を見ながら弾き語りができないということ。

元来不器用な僕は、マルチタスクが苦手でシングルタスクな人間である。そんな奴が歌うこと、ギター弾くことにプラスして、目で譜面を追っかけるなんてことを同時にできるわけがない。何年も練習してもできないんだから、譜面を見ながらなんて諦めて、歌詞とコードを覚えるべきなのに、怠け癖と物忘れを補完するためにどうしても譜面に頼ってしまう。しかし人前で譜面を見ながら歌うと、緊張も相まって毎回譜面上で迷子になり、動揺して演奏がつまる。
どうも譜面を見ながら歌うのと、見ずに歌うのでは感覚が違う。見ながら歌うと視覚に意識が集中し過ぎてしまう。なので他の感覚、聴覚やら指の触覚、また気持ちの入り方が疎かになってしまう。

 

人生を振り返ってみても、小学生の頃から目を使って何かをするということが超苦手。スポーツならボールを使った種目。野球、サッカー、バスケ、バレー、卓球ことごとくダメ(ボーリングもダメなのは別の要因?)。ゲームならシューティングゲーム格闘ゲームなど。反射神経を要するものはダメなのである。でも視力は良くて、目を酷使するプログラムの仕事をしていても1.5を切ったことがない(あまり集中して仕事をしてない説もある…)視力がいいことと反射神経がいいことには相関関係はないということだw
それに比べて音で判断するものは得意だった。ハーモニカ、縦笛。目で注視するのでなく耳と指の感覚だけで演奏するという感覚が心地よかった。ギターを始めても最初はコード弾きのみしていた。しかし友人の弾く早弾きなるリードギターを触発されてからというもの、タブ譜を見ながら、反射神経が必要となるフレーズを練習し続けた。そしたら頭が混乱したのか相当ストレスだったのだろう、体が拒否るようになり運指をする左腕に支障をきたし、それ以降リードギターを弾くことを諦めた。今思うとタブ譜を見ながらというのが良くなかったと思う。なので今の自分のギターは頭の中で生成されるリズムをそのまま感覚的に弾くカッティングスタイルだ。

 

しかししかし、アマの演者さんを含め譜面見ながら弾き語りをしてる人で、演奏が詰まる人をあまり見たことがないのも事実。練習の賜物なのか、脳のマルチタスク能力が高いのか、はたまた実は格好だけで譜面は見てないのかわからない。こんなことができないことにちょっぴり劣等感を感じてしまう。
いずれにしろ努力してもできないことに時間を割いても無駄。ハゲの人が努力しても毛がボーボーにならないのと一緒。できないことに執着するより、現状を受け入れその上で自分の得意なことに精進する。もう譜面台とおさらばするぞ!

となると問題なのは歌詞が飛んだ時のリカバリなのだが。これは昔ブログで書いたなぁ。今自分に必要な練習は適当な歌詞を何食わぬ顔で堂々と歌えるようになることであるw